畑中章さんのワーホリ体験記 本編(1)
畑中章さんのワーホリ体験記 本編(2)
畑中章さんのワーホリ体験記 (3)オーストラリア魚介と魚突きの辞典
畑中章さんのワーホリ体験記 (4)WA州えび漁船操業記録&魚介記録
彼の体験記は凄いです。まずボリューム。道中書き綴ってきたので、WORD文書で印刷して40枚あります。また1年半のワーホリ生活で稼いだ額も
4万ドル弱で、これはおそらく過去最高でしょう。もっとも編集しているうちに気づいたのですが、ボリュームそれ自体は、ビッシリ手書きをWORD換算するともっと多い人もいるかもしれません。稼ぎ高も、
アバウト4万という人は過去にもいました。でもこのくらい稼ぐようになると、皆あんまり正確に覚えてないんですよね〜。「そのくらいかなあ?」という。
しかし、そんな”最高記録”的なことよりも内容のディープさです。車を駆ってオーストラリアを一周し、28針縫う怪我をしつつもオーストラリア中の海で魚突き趣味を力一杯満喫し、あまつさえ漁船生活までした彼のワーホリ生活は、いわゆるワーホリの一つの理念型といってもいいでしょう。
が、世の中そう上手くはいきません。さぞや真っ白な灰になった達成感で凱旋帰国と思いきや、本人は曰くは、「もう、1年くらいはただのヘタレでしたね〜」という鬱々としたものだったらしいです。そう、一つのステップを制覇すると、より巨大な課題が出現し、打ちのめされる。達成するまでは楽しいんだけど、達成してしまうと今度は「それがどうした?」と思えてくるという。人はそれを”成長”と呼ぶのだけど、まあ、しんどい話ですよね。
そのあたりに関するコメントは、体験談(2)の最後に注釈として書き加えましたです。「これからワーホリ/ラウンドをしよう」というよい子の皆にはわかりにくいと思うし、長くなったし。
長いのですが贅肉はないです。ぎっしり実が詰まっててギュッと要約されていて、「もっと詳細に書いて欲しい」と思えるくらいです。特に悩んでいるときの心理の描写や、会話の内容など、小説を読んでるような気がします。とにかく面白いんだわ。
えび漁に目を奪われがちだけど、彼はファームの他、庭師やらクリーナーやら、一回数千ドル単位の仕事をごく自然にゲットしています。仕事探しで苦労している方は、そのあたりのカンドコロが盗みどころでしょう。本編(2)の末尾には、メール相談の実例として「他州登録の車検をどうクリアするか問題」「バイト代をゲットする(裁判まで念頭においた)作戦あれこれ」を載せておきました。知識ではなく問題解決の悩みと過程をご賞味下さい。こういう経験が”実力”という一生モノの財産になって残るので。でもって、後半の「オーストラリアの魚」シリーズは、単なるデーター羅列に見えて、これもコメントがやたら面白いから読んでしまいます。えび漁船操業記録も、仕事のハードさよりもヒマなときが一番辛かったというのは、体験者ならではの実感でしょう。
荒尾君の留学体験記(直筆じゃないけど)
下から佐賀、福岡と九州勢が続きますが、今度は熊本から来られた弱冠19歳(当時)の好漢、荒尾康平君です。
彼は正規の
一括パックではなく、既に1年留学を申し込んでしまった後にAPLaCを発見してしまった、いわゆる有料シェア探し組です。しかし僕の中では正規フルタイム組以上の存在感があります。コンスタントに報告メールをくれたり、またよく遊びに来てくれましたし。
体験記にも書かれてますが、こちらに来る前はちょっとキツかったようです。地元の秀才高専に行くのですが、どうにもやってることに意味が感じられず中退。その後、地元のコンビニなどで働くも、これがまた最低時給600円台だわ、盛り上がりに欠けるわで、どんどん迷宮失速。このままいけば、工場などを転々として、最後は秋葉原にクルマで突っこんでたかもしれない、、、というのは半分冗談だけど、笑ってばかりはいられない恐さが今の日本にはありますよね。
荒尾さんは、見た目、黒縁眼鏡の秀才系というか、やたらお勉強が出来る子供がそのまま大きくなったというか、ネットで「リア充」とか書いてそうなタイプというか、そう思われがちな風貌だったりします。でも、実物の彼は、快活ななかにも深山の渓流のような「清涼感」があります。「涼しげ」なところは多分知性からくるのだと思うのだけど、それ以上に「清」がある。青竹のようにオーガニックな真っ直ぐさがある。余談ながら、この感じがなかなか写真では出ないんですよね。写真、難しいです。
しかし、これ写真だけの問題ではなく、実人生においても同じなんだろうと思ってしまうのでした。彼の持って生れた資質だけで、ほんとは人生全然OKなんだけど、中退だのフリーターだのワープアだのという"bullshitな記号"が、せっかくの素材をかき乱す。くだらない記号雑音の入らない世界でしばらく頑張ってれば、すぐにも元に戻る筈、、、と思ってたら、案の定パワー120%回復で、帰国してます。「帰国」というよりも「逆上陸」みたいな感じ。
彼のオーストラリア生活は、学校10か月×シェア同じところ10か月×バイトほぼ10か月という、意地悪くいえば「変りばえのしない」滞在でしたが、めっちゃくちゃ実りは大きかったと思います。アクティビティという客観ではなく、「それをどう咀嚼するか」という主体が強いからです。荒尾さんはこの消化力が抜群にいい。よく僕らは情報だけで「分かった気」になりがちだけど、それって典型的な失敗パターンですよね。実戦で本当にものを言うのは身体感覚なんだけど、荒尾さんはこの身体感覚が非常に優れてます。皆が嫌がるジャパレス店でも、「わ、すげ〜」と子供のようにピュアに感動し、「なにごとか」をガンガン得ていく。実際、他に働いてた日本人のお兄さんお姉さん達は全然続かなかったらしいけど、荒尾さんは小突かれたり、罵倒されながらも、旺盛な消化能力で栄養にしていく。
荒尾さんは確かに聡明な人だけど、でも自分の頭の良さに全然頼ってない。頭の限界をよく知ってる。世界を「記号」で処理しない。「地アタマ」がいいというのはそゆことだと思うんだけど、だからこそ身体が喜んだことを、知性が一緒になって喜ぶという幸福なハーモニーが実現するのでしょう。
ということで、さきほどの「リア充」でいえば、彼の10か月は”超”リア充だったと思います。これに比べれば、やれパーティとか、ラウンドという形式だけのリア充がむしろ「チャラ充」に思えるくらい。なぜって、彼は「仕事の意味」、ひいては「生きる意味」みたいなでっかいヒントを掴んだわけです。それも「分かった気」ではなく、身体で、ズシッと。これ以上の収穫はおよそ無いんじゃないかな。You couldn't expect more.
その証拠に、10か月経過時点で、これからどうする?問題=無数にあった将来計画(ワーホリ、進学、帰国就職など)も徐々にフェイドアウトしていきます。8か月目くらいは結構悩んでいたみたいですけど、吹っ切れたみたいですね。「決めなくてよし!」と心底思えたのでしょう。コース、針路、計画、準備、そんなものに頼らなくなったし、無くても本質は損なわれない、という自信がついたのでしょう。そう、本質は「どこへ行くか」ではなく「どう歩くか」ですもんね。一歩一歩どう足を繰り出していくか、その一歩に大地を踏みしめる喜びがあるか。"Where"ではなく"How"。そこまで吹っ切れたら「帰って良し」です。なんか修行の山から下りるみたいだけど。でも、ほんとそんな感じ。
帰国後の荒尾さんは、東京のお兄ちゃんのところに居候して、またコンビニでバイトしているそうです。楽しそうです。Before/Afterの外形面は全く変わってないようだけど、もう全然違うよね。
ちなみにこの体験談が直筆ではないのは、具象ではなく心象メインの内容になるし、筆が立つ彼にはじっくり時間を掛けて掘り下げて書いて貰いたかったからです。帰国前後に書かれた一作目は、僕がボコボコに添削してダメだししたのですが、修正版はグリコ絶賛です。よう書けた!って感じ。なお、渡豪前後にわたって、数えてみたら優に60通以上メールの往復をしており、折々の気持ちがよく書かれていたので、これも末尾に抜粋して付記しておきました。
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福岡から来られた谷口直美さんです。ナース歴10年の谷口さんは、オーストラリアでは趣味のダンスを満喫し、また介護ケアのバイトにも励み、最後はメルボルンの医療研修にも行かれています。こうやって結果を羅列すればかなり充実のワーホリであり、本人的にも大満足なのですが、それは「結果」。過程はとてもしんどかったそうです。
ナイスなシェアも見つけ、順調な滑り出しをした谷口さんですが、徐々にモヤモヤしてきて、ついには活動停止の準ひきこもり状態にまで陥ります。どスランプで、学校も徐々に遅刻早退が多いヤンキーパターンになり、最後の方では登校拒否状態になってしまったという。何が起ったのか?
ここがすっごく難しいところで、本人も体験談でよう書ききらず(だからダンスなど書きやすく、そして資料価値の大きい部分から書いて貰ったのですが)、長い時間お喋りしてて段々分かってきたのですが、まず谷口さんはとてもしっかりした方です(だから高倍率の介護バイトも人柄を評価されて射止めている)。しかしその「しっかり」がアダになっている。途方もないハードルや不本意なハードルを自分に課し、それが達成できない自分を厳しく責めてしまう。自分で毒を出して自分で当っているという「自家中毒」です。出来る人にはこのパターンが多いですね。
ナース戦線を離脱するときに、周囲から「英語頑張ってね」「帰る頃にはペラペラだね」と温かく送り出されたのですが、それがハードルになり、滞在2か月を経過しても「全然ペラペラにならない!(なるわけないが)」と焦りだして、あとは蟻地獄で、「(英語の勉強のためにも)皆と馴染まなきゃ」「バイトなんかしてていいのか」みたいな強迫観念が強くなる。そうなると学校を早退するときにクラスメートから大丈夫?とかけられる声すらも皮肉やあてこすりに聞こえてしまうという。結果的には、ほどなくして自家中毒から離脱できるのですが、その過程=長年の毒が抜けていくときに一時的に劇的な症状になっていたのでしょう。
僕が見るところ彼女は自分の価値観もしっかりしてるし、一人で十分やっていけるタイプ。むしろ一人でやった方が上手くいくタイプ。スランプ中も個人行動でやっているバイトやダンスは楽しく感じているし。ただし実務力も高いから、対世間と上手くやっていく程度のことは適当にこなせてしまう。ナース10年間はおそらくそうやってこなしていたのだろし、又そうでなければチーム医療は廻っていかない。が、オーストラリアに来てからはその重圧が取れ、地の自分=パワフルでマイウェイの自分が徐々に復活してくる。事実、オーストラリアに来て身体は喜んでたみたいです。お金が無いとかいいながら、かなり美味しい食べ歩きはやってるし、胃腸薬も飲まなくなったと言ってましたから。
しかし、地が目醒めれば目醒める分、それまでのフォーマット(地を殺して周囲と融和)との間で激しい「政権交代」が起きる。社会的なペルソナ(仮面)をはがすことの逡巡や罪悪感があるから、今から思えば「なんで?」というような事で悩む。でも、最後には「自然の摂理」で地が勝つ。毒出し完了!になれば、そっからは無人の野を行くような快進撃になります。インタビューでも「いつも転機になり、救ってくれたのは直感で、直感で決めたことは全部良かった」と言っておられたけど、直感=地の声だから当然といえば当然。そういえば、ダンスを始めた高校の頃の気持ちを思いだしたそうです。当時はとにかくダンスをするのが楽しくて楽しくて、でもナースやってる10年間のダンスはそこまでは楽しくなかった、「やってます」って感じだった。それがオーストラリアに来て高校の頃の「すっごく楽しい!」という原始感覚が甦ってきたと。
最近このパターンが多いような気もするけど、翻って考えれば僕が来る前(20年近く前)ですら、「日本人が海外に行くメイン理由は「精神的難民」である」と書かれていたから、変わってないのでしょうね。留学もワーホリも移住も思うところは人それぞれだろうけど、その中に「ココロの湯治場に行く」という一項を書き加えておいてもいいかもしれません。
さて、体験談ですが、リクエストに応えてくれて、こちらのダンス教室事情をかなり詳しく書いていただきました。興味のある方は必読です。介護ケアのバイトも、高給よりも、やはり「ナースになった原点」を知ったことが大きかったようです。最後の最後のメルボルンの小旅行で、「バッパーの楽しさ」を体感できたので、そこが分かればラウンドはもうやったも同然。帰国してからが楽しみです。また背負い込みすぎて毒漬けにならないように(^_^)。疲れたらまたお湯に浸かりにおいで。
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日本では証券会社でバリバリやっていた、佐賀出身の立部尚士さんの約4か月の語学留学体験記です。
彼はいろいろな意味で他の方々とは違い、むしろ僕自身が最初に来たときに似てます。昨日まで日本で第一線の激務に追われつつ、30歳過ぎてから海外に新展開を模索して、とりあえずは最初は語学学校をして、、という方法論が似てます。似てないのは、僕と違って立部さんは海外での就職機会・キャリア機会を模索していた点です。オーストラリアの前には、ブラジルにも視察にいっているそうです。視察と英語研磨がメインなので、学生ビザをとるまでもなく観光ビザだけで修了してます(途中ビザリセットのためにNZ旅行を挟んでます)。
金融系パリパリというキャリア、経済系Wikipediaの編集をやっていることに加えて、特筆すべきは料理に対する造詣の深さです。僕が冗談半分(本気半分)で「金融じゃなくてシェフやれば?」と言うくらい知識&実践が凄い。ということで、美味しい手料理も振る舞ってもらいました。当然というべきか、10年以上の前の大学入試の遺産だけで(勤務中勉強時間があったとは思いがたい)、英語も短期間にレベル4→6までいってます。日本人が少ないというよりも、ほぼ「いない」学校の最上級クラスなんぞに行くもんだから、通学中も「いやあ、スロバキア人とハンガリー人が仲悪くって」「誰か新しい日本人入ってきませんか?たまには日本語喋りたいですよ」とかいってました。
かといって、とっつにくいエリート臭さはなく、その物腰は至って飄然としています。営業で鍛えたのか球面曲率の高い物腰なのですが、根っこにあるのはちょっと照れ屋な少年みたいな気がします。ウチのリビングでイヤホンでB'zを聞きながらノリノリで歌ってた姿は可愛かったです(^_^)。また、同じ週に来られた二人の女性ワーホリのいい兄貴分になってて、その後も学校は違いながらもよく遊んでいたようです。いい「チューター」って感じでした。
最初からなんでも出来る立部さんなので、僕としても何をサポートしたという感じもないです。シェア探しも、営業廻りやってたから行動予定を立てるのはお手のものだし、マルーブラのいいところをサクッと決めてましたしね。僕がやったことと言えば、履歴書のカバーレターの添削というか、単なる意見出しくらいでしょうか。
筆が立つ彼は、さららと体験談を書いてくれました。本当に「さららっ」って感じで、単位頁数あたりの所要時間は歴代最短。「え、もう?」ってくらい早かった。滞在中・帰国後の出来事は、
ご本人のブログ(たんたる・こあら)に詳し過ぎるくらい豊富に書かれていますのでご参照を。
しかし、上級者の彼の英語アドバイスは聞くべし、です。ここには書かれていないですが、立部流の英語”自動車”論があるそうで、その要髄は、いわゆる4技能(Speaking, Listening, Reading, Writing)は車の4輪。どれか一つがパンクしても車は前に進まない。そしてエンジンはグラマー、ガソリンはボキャブラリーだという。正しいと思います。シェア先やエクスチェンジで、英文を書いては書いては、「ここがネイティブからしたらfunny」と指摘してもらうという地味な努力を続けておられます。Blogもちゃんと英語表記もしているし。出来るようで出来ないことをコツコツやるあたりがエラいんですよね。ブログによれば、今は就職活動のためにTOEIC準備をしておられるようですが、しかし、幾ら職探しのためとはいえ、彼ほどの人がTOEICなんぞの点取り技術に励まねばならないとは。日本の英語・就職状況に疑問を感じてしまいます。
さて滞在中、英語の勉強は当然としても、食べ歩いたり、皆と騒いだり、レンタ借りて走り回ったり、ビザリセットでNZも爆走してるし、多忙なビジネスマンの彼にはいい骨休みになったことでしょう。「せっせと遊んでいる」という感じ。帰国して就活をされる立部さんですが、「早いところ決めて、すぐにもオーストラリアに遊びに来たいですね〜」と言っておられました。まだまだ遊び足りないみたいです。オーストラリアに来てワーク・ライフバランスも結構変わったのかな?と思ったのですが、しかし、あの料理の造詣を考えたら、実のところはそんなに変わってないかもしれませんね。
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島根から来られた天野むつみさんです。
スラリとした上背、あくまでも口数は少なく、英語や実務能力も高く、埃を鎮めるような静かさで仕事をし、気がついたら全部出来ているという。なんか近寄りがたい有能な秘書みたい、静かな佇まいは女優さんみたい。同じ週に来られた同期の長谷部君(今はワイナリーファームにハマって転々としているそうな)と「ちょっと話しかけにくい感じだよね」「ですよね」とか話していたものでした。
が、その内実は、可愛らしい体験談でもお分かりのように、日向(ひなた)の匂いがするホコホコした人柄です。「おっとり」という言葉がよく似合う。イメージギャップがあるのですが、要はシャイなだけなのですね。シャイだからあくまで無口で控えめ、そしてシャイだから地味にコツコツ努力するのは得意だという。それが結果として、ある種の近寄りがたさに見えるという。
彼女くらい「気負い」の無いワーホリさんもまた珍しいです。「修行」的な要素はゼロに近い。英語は好きだから、英語目的という面もあるんだけど、それほど強いものでもない。二回目ワーホリも最初から眼中になし。いろいろインタビューしてて分かったのですが、本人にも意識されることもなかった本当の目的は「毒出し」でしょう。ここ1−2年非常に多いですね。何が「毒」なのかというと、仕事における人間関係での毒です。天野さんも日本旅館のフロント事務でせっせと働いておられたそうですが、仕事がキツイのはいいのですが、上の方針やら個性やら肌合いとか(このあたりは深く言わなくても分かるでしょ)で、だんだんココロが濁ってくる。でも、ギャンギャン文句を言うタイプでもないし、また地味に努力するのは得意だから仕事はこなしてしまう。この種のタイプの人は、えてして「便利遣い」されがちなタイプで、使う側としてはやりやすい。でも、そんなことやってたら本人が無事で済むわけがない。
普通は、ここでダーッ!というちゃぶ台ひっくり返し的な激発性の感情反応があったりするのですが、彼女の場合はあくまでおっとりと反応し、「なんか、疲れちゃったな」と「ほっ」と吐息を付く、みたいな。で、渡豪と。「のんびりしたいな」というのが偽らざる所でしょう。だから結局「毒出し」パターンだと思います。デトックスです。
しかし、気負いがないのに(ない「から」、というべきか)、彼女、凄いんですよ。ラウンド中も普通に残金100ドルラインをいくし。シェア探しでも、いつのまにか数をこなして静かにすっと決めてるし(下記の宮崎さんがいた”林間学校シェア”の開拓者)、学校が始まったその週にはもう通学沿線沿いに2軒も掛け持ちバイトを決め週6日で働くという。とにかく一切無駄口叩かないでひたすら行動するから、展開も決断も速い。不言実行。気負い系に有言不実行な輩(吹いてるだけ)が多いのと好対照です。しかし、うち一軒は早々にクビになりますが、その理由がふるってて、「キミにはもっとエレガントな職場の方が似合ってる」と言われたとか。分かる気がする。もう一軒はシドニー滞在中ずっと続き、ウチの近所でもあるのでいつぞや食べに行ったら、オーナーさんから「いい人紹介してくれてありがとう」とか言われてしまいました。そう「いい人」なんです、彼女は。
で、ラウンドですが、最初のラウンド先のパースのダメダメファームは、これも下記の池君が早々に撤退したファームで(現地でも会ってるらしい)した。その後、流れ流れてメルボルンのジャパレスで半年どっぷり。これも直近の堀江君と同じく、「ラウンドまでしてジャパレス」という文脈で捉えるべきではなく、要は人間環境なんですよね。「毒出し」が出来る温かい人間環境があるかどうかであり、その環境の構成人員の民族なんかどうでもいい。カタチじゃない。「いい人」に出会えるかどうかでしょう。だからこそ体験談に「毎日スタッフに感謝の言葉をかけるなんて中々出来ないことだなと感動しました」という記述になるのでしょう。
でもってこれも書かれてないけど、メルボルンでいい人と出会ったそうです。相前後して帰国し、交際が続くという。「こんなこともあるんですねえ」と照れ笑いを浮かべてましたが、あるんですよね、ひょんなところに。「海外に暮らしてみたいな」「旅の風に吹かれてみたいな」「すっとココロが軽くなったらいいな」という、すごーく素朴な原点を、静かに、おっとり、しかし断固として貫いたということでしょう。だからこそ、2頁目はほのぼのした家族旅行、つまりは普通の海外旅行の記述みたいになってるし、「楽しく平和な暮らしが出来て満足です」という結論になるのでしょう。
最後に「毒出しは完全に出来ましたか?」と聞いたら、「はいっ!」と力強く、うれしそうに頷いてくれました。「へえ、毒出しって、ほんとに出来るんだ」というのが、最大の発見だったのかもしれません。彼女にとっても、そして僕にとっても。
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最初の一週間終了時の
動画インタビューでも登場していただいた佐藤礼子さんです。動画を撮り始めた初期の連中がそろそろラウンドから帰ってきているというわけですね。といっても佐藤さんの場合、あと半年滞在する予定ですので、これは中間報告です。右の写真は再出発前のパッキングで途方に暮れている図。
美容師歴9年の佐藤さんは、そのキャリアを遺憾なく発揮、滞在期間のほぼ半分はオーストラリアのローカルの美容室で働いています。語学学校時代では、ジャパレスでのバイトの傍ら、シェアメイトに助けられてシェア近くのローカル(Marrickville)の美容室で働いて、4か月間フルタイムで学校に行きつつ、合計4500ドル稼ぎ出します。右から左にシェア代に消えたそうですが、自信になりますよね。ラウンドではDarwinで自力でローカル美容室を探し出し、結構割が良く(日曜はダブルPayの時給45ドル)、シドニーに帰ってきたときも1日でさくっとChatswoodのローカルジョブをゲットしています(これは土日も時給30ドル以下で不満そうだったが)。
動画でも体験記にもありますが、最初の一週間はシェア探しでは、バス停で肉じゃが弁当を食べながらポロポロ泣いていたというのに。人間、キャリアと自信ですよね。もっとも、本人の実力(人間力)というのが非常に大きいと思います。再シドニーは、僕のカミさんの
カウンセリング技法(3 in 1)を受講するために来られ、近所ということでウチに3か月シェアしておられたのですが、いやあ、シェアメイトとしては歴代最高でしたね。出ていくときは自室のみならず風呂場までピカピカに磨き上げてくれるし、生活用品(トイレットペーパーや洗剤)も自分の分は自分で買ってたし(別にいいのに)、料理は上手なうえに自炊をすれば勝手に僕らの分まで作っておいてくれたり。カミさんも言ってたけど、飲み込みが早く、説明されなくても見てるだけでいつ何をどうすべきかをちゃんと理解し実行できる。一緒になんかやっててすっごい楽。雇う側としては理想の人材でしょう。これは本人の素質もあるけど、故郷山形での昔ながらの日本の躾、そして過酷な美容師修業時代のたまものでしょう。まあ、これだけ人間力があったら一生職と友達には困らないでしょう。実際、1年以上ぶりにシドニーに帰ってきたときも、普通学校時代の知人などバラバラになって誰もいない筈なのに、休みの日は連日誰かと飲みに行ってましたもんね。よくネタが尽きないなと感心したりして。
といってもピークはラウンドで、住人180人がテント張って暮らすウッドストック(古い)か「明るい被災地」みたいなWAのDonny Brookでのファーム生活やら、トラブル続きの女の子ばっかりの車の旅、チェコ人と台湾人の男の子とドリカム風トリオでのダーウィン行&生活でありました。彼女の表現によれば「ドッヒャ〜!」体験が目白押しで、最初のシェア探しの大変さなんてかすり傷のうちにも入らないという。詳しくは体験談を。明るく楽しく書かれているから読み流しちゃうけど、リアルタイムで遭遇したら僕でも泣きそう。でも、それが良かったのでしょう。あと半年、このままシドニーでもっと高給取りを目指すことも出来るのに、またアウトバックに出かけていったのでした。インタビューで、ラウンドでは「”地球”と語ってきた?」とやや文学的な質問をしたとき、間髪入れずに「はい!たっぷりと!」と答えてくれたものでした。くだらんシャレをいうと、ジキュウではなくチキュウなんだろうな、欲しいのは。
ただ、彼女の場合も(誰もそうだが)、下の堀江さんと同じ「心の旅」で、もっとディープな深層海流はあります。職業人として一本立ちするほどに、暗闇に取り込まれていくかのような感覚。それをリセットするためのワーホリであり、そして一見奇異にも見えるカウンセリング技法受講でもありました。そのあたりは書き出すと長くなるので割愛。一言だけ書いておくと、彼女のように明るくて人当たりもよく、聡明で有能だったら、そりゃあ溜め込むだろうな、と。無能で人当たりが悪い奴(僕のように)のストレスなんぞ、有能で人当たりの良い人のストレスに比べたら屁みたいなものでしょう。なお、佐藤さんには、宿題として、@日豪での美容師事情の差異(技術面も含め)、Aカウンセリング技法習得体験も書いてねと出しておきました。インタビューでも聞いたのですが非常に興味深いです。
最後に、一生職と友達には不自由しなさそうな佐藤さんですが、なぜか結婚相手には不自由しているそうです。理想のヨメさん候補だということは、僕がレフリーになってあげてもいいです。時々いますよね、男でも女でも、「なんでこんなイイ奴が?」という。しかし、あまりにも人柄が円いから恋愛沙汰に必要なザラザラしたエッジが立ちにくいのかもしれませんね。このあたりも語り出したら長くなるので割愛。
追加報告:宿題その@〜日豪美容師事情
さっそく宿題@を仕上げてくれました。
滞在期間中のほぼ半分くらいローカルの美容室で働き、しかもシドニー(×2)やダーウィンなど都市もまたがっています。これだけあちこちローカルで働いた人も珍しいので、日本とオーストラリアでの美容師として働いた感じの差を書いて貰いました。
美容師さんは看護師さんと並んでワーホリ人口で大きな割合を占めますが、彼女の体験談は、仕事ゲットの方法だけではなく、西欧人の髪質の違いや、働いた実感など、参考になる点が多いと思います。最後のChatswood店時代は、ウチに短期シェアしていた時期ですが、僕も「今日あたり賃上げ交渉してみたら?」とか焚きつけてましたね(^_^)。一回本当に言ったそうですが玉砕でした(^_^)。まあ腰掛けですぐ辞めるつもりだったので強いことは言えず、と。
右の写真は、ウチにシェアしているときに池君(下の体験談#341)の散髪をおこなっている図→
→日豪美容師事情
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動画インタビューでも登場していただいた堀江教弘さんです。
彼のワーホリ生活を一言でいえば、「心の旅」だったと僕は思います。今回、かーなりディープにインタビューしててそう思いました。堀江さんのワーホリ経過は、最初シドニーの語学学校に行き、教職を持ってることもあってJ-Shineも取り、その後ラウンドに出てファームで働き二回目ワーホリをゲット、さらにパースに流れてそこで半年ジャパレス生活になるという。いわゆる定番のワーホリアイテムが順調に登場したりするわけですが、しかし、こういった外見的な流れはあんまり本質に関係ないです。
堀江さんが一番感動したのは何かといえば、パースでのジャパレスで最後の最後に家族パーティにまで呼んでくれて、本当に温かく迎え入れられた体験だったそうです。これが一番大きかったと。体験談では最後の数行にちょこっと書いてありますが。
動画インタビューでも語られていたように、また彼自身体験談の冒頭に書いているように、「非アクティブ」「準ヒキコモリ」という属性をもつ彼の場合、「ひゃっほ〜系」の海外ライフにはなりにくいです。頭良すぎるのか、「まあ、しょせん〜」とクールに見えすぎてしまう感があり、今ひとつはしゃぎ切れないというか、アホになりきれないというか、クールな分だけ温度が下がり、それがゆえに一歩踏み込めないという。これって彼一人の話ではなく、僕にだってそういう面はあるし、かなり普遍的な事柄だと思います。だからこそここで書いてます。
「見えちゃう感じ」という理性の強さが、対人・対世間における距離感をつかみにくくする。どこまで入っていっていいのか、どれだけの気持ちで相手は入り込んできているのか、よう分らんという。そして、堀江さんが最後に掴んだ感覚は、「あ、もっと入っていいんだ」という、人間って思ってたよりあたたかいんだ、もっと信じていいんだ、ということです。ほんの数センチ、数十センチの間合と見切りの差なのですが、これは値千金でしょう。
もともと堀江さんは、シェア探しでも”めぞん一刻”と仇名をつけた超ディープなホステルに行ってます。地の堀江さんは、ヘンなもん大好き、妖怪大好き少年というか、それが彼のコアだと思う。だけどなまじ頭がいいのでアレコレ考えすぎて、強烈に理性で制御してしまう。最初の動画でも「ききすぎるブレーキ」と書いたけど、それを適正にアジャストするのが、振り返ってみれば彼のワーホリライフだったと思いますし、そしてそれは果された。おめでとう(^^)//""""""パチパチ
だから彼にとっては外見的な経過など実はどうでもよく、様々な体験が彼の心にどういう化学変化を及ぼすかこそが本質だったと思います。○○をするとイケてるとか充実してるとか、そーゆー問題ではない。これは彼だけではなく、誰にとっても同じ事でしょう。いわゆる「ワーホリ定食」みたいな”種目”をこなすのが大事なのではなく、どう感じたか、どう思ったか、それで自分はどう良くなったのか、それこそが大事で、それが全てなのだと思います。彼がいう「結果オーライ」というのはそういう意味だと思います。でもでも、堀江さんの場合、結果だけではなく過程もオーライですよ。自力でそこまでたどり着けたんだから。だから「くじけないでください」という皆へのアドバイスになるんだよね。
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大阪出身の池孝太さんです。奥さんの小百合さんとご一緒にワーホリで来られました。
孝太さんは大阪出身なのに綺麗な標準語を喋ります。東京、福岡と勤務が続く中で自然とビジネス用語的に標準語が身についてしまったという。人材派遣の会社で営業職をしておられた彼は、いわゆるキチンとした日本のビジネスマンです。日本のキツイ営業をやってるからシェア探しも「こんなに簡単にアポが取れるなんて嘘みたいに楽」とクリアします。人材を斡旋する会社の営業職ですから、常に一定比率で出社拒否になる人が出てきて、得意先から文句を言われつつ、その人の自宅まで行ってカウンセリングみたいな相談をするなど大変です。土曜の朝に起きて携帯をみたら着信50件とかなってると「ああ、週末ぶっ飛んだ」で終日対応に追われるという。
なぜ日本での仕事状況を書くかというと、それが徐々に、そしてガラリと変わっていくからです。奥さんの小百合さんはNPOでスリランカに行くなど国際派であり、孝太さんとは肌合いが違います。奥さんの影響で大学→ビジネスマンという孝太さんのチャートが徐々に揺いできます。日本で一生懸命仕事して、それなりにやり甲斐はあるけど、もしかしたらもっと違う生き方があるのかな?と。その思いが段々と発酵してきてワーホリに至るのですが、そのオーストラリアでまたどんどん発酵が進んでいきます。
動画インタビューでも語っておられましたが(未公開ですが)、ファームなどで日本では全く考えられないような生き方をしている人達が沢山いるし、またそれでも人生が全然成り立っていること、そして彼らが芯から楽しそうに人生を謳歌している姿に衝撃を受けるわけです。頭で考えるよりも現物が目の前にあるという説得力は凄まじいし、またそれがレアケースではなく現物だらけだったりするわけですね。その後、孝太さんの中で日本式の生き方と、自由な世界的な生き方とがせめぎ合い、しばらく悶々とします。発酵→蒸留って感じでしょうか。ようやく吹っ切れて、奥さんと二人でNPOでスリランカに行くことにしたそうです。だからオーストラリアWHというのは彼にとっては「心の旅」でもあったのですね。誰にとってもそうだと思うけど、特に日本でビシッと仕事をしていた孝太さんの場合、その軌跡が顕著に見えるという。
体験談の内容も興味深いです。特に学ぶべきは、シドニー時代にあっさりバイトが決まって「こんなもんか」と甘く見てたらラウンドでキツいしっぺ返しを食らうという部分(いいことばかりは続かない)、そしていよいよ所持金100ドル切った時点でミラクルが起きて良い出会い、良いファームをゲットするという。よく「100ドル切ってからが本当のワーホリ」といいますが、なぜかいよいよとなると不思議に運が向いてくるのですね。孝太さんも「いや、ほんと不思議ですよ!」と感心してましたが。まあ、必死オーラが違うとか、理屈を言えばあるのでしょうし、余裕があるときはどっかしら心に緩みや甘えがあるから、目の前を幸運が通り過ぎても気づかないのでしょう。
今は日本で軽く起業をしつつ、スリランカ行きを待っている孝太さんですが、またスリランカ話を聞かせてもらいたいものです。待ってま〜す。
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島根県出身(島根の人、多いんです)の伊藤友生さん。「同じモノは続く」というジンクスか、長身眼鏡の理系男子の伊藤さんも、実は自転車野郎だったのでした。といって最初からそのつもりだったのではなくく、こちらに来た初日に自転車屋を目にしていきなり火がついたという。
シドニー時代は学校に行きながら、自転車を購入、テントやらの諸準備を整えます。しかしなんといっても敵はオーストラリア、デカ過ぎます。「うーむ」と思って、とりあえず試運転のプチラウンド(ブルーマウンテン周囲5泊)に出かけ、感触をつかみます。このあたり社会経験豊富な彼の堅実さを感じさせます。でもってニューイヤーの花火を見た翌朝=元旦、ウチのお雑煮を食べて出発!
彼の旅の詳細は内容をお読み下さい。でも、「旅に出たら楽しかったり、危ない思いをしたり、良い思いをしたり、つまらなかったり、心が折れまくって気分が沈んだり、結局は良かったな」という「どこが”結局”なんだ?」とツッコミを入れたくなる感想が全てを物語っているのでしょう。そうなんだよね、個々の局面はめっちゃ大変なんだけど「結局は良かった」という地点に回帰するのでしょう。That's how life goes!ですよね。
彼の体験談で気がついたのは、二組の老夫妻ととても良い出会いをする点です。もと鍛冶屋のヘレン&ジェフ夫妻のジェフおじさんは1920年代のMG(超クラシックカー)を持ってて悠々自適、片やお年を召しても夫婦でタンデム自転車を乗っているリズ&スコット夫妻は自転車野郎のためのWWOOFもやってたり。つまりは老後観の激変です。「あ、年を取っても全然楽しいんだ!」という。これはオーストラリアに来たら誰しも感じることだと思いますが、ほんとにそうです。で、彼の世界観はどんどんシンプルになり、「結論は自転車に乗ることは気持ちが良い、だから自転車に乗るんだ」「それは何歳になっても出来るんだ」というある種の”悟り”(そう呼んで良いと思う)にまで達します。
もう一つは、せっかくシンプルな達観に至った伊藤君の心を揺すぶる「日本のこと」です。道中日本の地震に接してから、日本の将来問題が頭の中から離れなくなったという。来られたときも、旅話が半分(楽しそう)、日本の政経話が半分(眉間皺)でしたもんね。そろそろ日本に着かれていると思いますが、レンマークに自転車を置きっぱにしてるんだし、はよ戻っておいでな。あっこでモノ考えていると何もかもが暗くフクザツに見えるという錯覚に陥りますがな。人生なんか「気持ちいいから、やる」それだけっしょ。それこそ「結局」ですよ。その「強引な端折り」にこそ、動かしがたい「なにか」があるのだと思うぞ。
→体験談を書かれたときに撮った伊藤さんの動画
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動画館でも登場していただき(
別窓)、その飾らないひたむきさで一部に絶大な人気を誇る、19歳の好漢・浅井雄一君ですが、自転車でのオーストラリア一周を達成し、帰ってきました。
いやあ、もう、よく無事で帰ってきてくれました。うれしいです。すっかり顔つきも大人になっちゃって。
そのときに書いていただいたものです。
一頁だけだけど、美辞麗句や遊びが一切ない、まるで卒業文集のような体験談は、それだけに直球ド真ん中です。一球入魂。
彼のインタビューも録ったので、いずれ(いつのことやら)UPしたいのですが、一周の詳細を聞いた僕が大まかなことを書いておきます。確かに彼は自転車で一周したのですが、自力で一周したわけではなく、かなりオーストラリア人に助けてもらっています。膝を故障し、疲労でヘバっている彼を、通りすがりのオーストラリア人達は、ほぼ例外なく助け起こし、クルマに乗せ、自宅に泊め、ゴハンを食べさせてくれたそうです。それどころか、壊れた自転車の修理代やら路銀の足しの餞別やら、、。大体、エアーズロックあたりで所持金100ドル切っていながら、それで2000キロくらい離れたケアンズ北のファームに辿り着いてますからね(辿り着いた時点で所持金3ドル)。
まあ、やや大袈裟に言えば、浅井君が自転車で一周したというよりは、ヘバっている浅井君と自転車を、善意のオージー達が聖火リレーのように一周運んでいるかのように見えたりもします。距離でいえばざっと半分くらいは助けてもらっているんじゃないかな。あと宿もファーム時代を除けば、バッパーが一泊だけであとはテントと見知らぬオージーの家に泊めてもらってます。これ、オーストラリアだから良かったようなものの、もっと人情が冷淡な国だったら3回くらい死んでるかもしれません。
でもこれはある意味、自力で一周するよりも感銘深いものとも言えます。いくらオージーが底抜けに善人揃いだといっても、やっぱり「助けたくなる人」というのがあると思う。それはチャレンジしていること、それも「ひたむき」にやってることでしょう。その邪念の無さが人の心を打つ。そういう人は誰だって助けたくなるもんね。逆に甘えが透けて見える人には何もしてやりたくないという。それはオージーも同じ事だと思います。
浅井君も「俺はやったぞ」という達成感に酔っておらず、体験談にも書かれているように、「全然ダメ!」と自分でダメ評価をしています。だからリベンジで2回目をやるという。客観的にはかなり大人になったし、助けて貰ったとはいえ偉業であることに変りはないわけだし、もうちょっと酔っても良さそうなんだけど、そのあたり、彼はあくまでストイックです。それよりも彼がうれしそうに語ったのは、ファームで一生懸命働いていたのが認められ、最後にはスーパーバイザーになって他のバイトを指示する現場監督にしてもらったことです。
あと印象深いエピソードとしては、エスペランスのバッパーに泊まって、膝もボロボロだししんどいしで、か〜なり煮詰り、一睡もできないまま夜明けのビーチを散歩していたとき、ビーチに何とアシカがちょこんと座ってたらしいです。「うわ、アシカだ」とびっくりして、笑えてきて、そうしたら悩みが一気に消滅したという。一瞬でどーでも良くなったという。この機微は、分かる気がする。
その後の浅井君〜二回目ワーホリ経過報告
浅井君から追加メールをいただきました。
「(前回の)感想文があんまりな出来なので今回改めてメールをした次第です」ということですが、そうかな?僕は、まるでブルーハーツの曲のようにストレートに染みてくるいい感想文だと思いましたが。
内容的には書き直しではなく、その後の経過報告です。確かに、一回目よりもきれいに整理されており読みやすくはなているのですが、それでも彼独特の”ブルハ節”は健在。なんというかな、かなり凄いことをやっているのだけど、「抑えた筆致」というか、「今日はお父さんと釣りにいきました」みたいに淡々と書いているので、それだけシリアスで「不言実行」的な凄味を感じてしまうという。読んでいて背筋が伸びてくるような、いい体験談でした。
経過をかいつまんでいうと、前回シドニー帰還/再出発からまずはキャンベラへ、その後、アウトバックの極致のような炭坑町ブロークン・ヒルにいき、そこからSAのPort Augast経由でアリスへ北上。そして以前働いてたケアンズ近くのファームで働いている、ということですね。前回のお礼廻り的な要素を含んでいるのですが、前回半死半生的に廻っていたのが、今回は余裕です。危なげというものがない。すごいな〜、人はここまで成長するもんかって。
前回お話ししたときも、そして今回のメールでも感じたのですけど、彼の今の興味は、オーストラリアでも海外でもなく「仕事」なんじゃないかな?ワーホリ体験を通じて、仕事の本当の面白さを知り、仕事と真正面から向き合えるようになったというか、そんな感じを受けます。
→浅井君の二回目ワーホリ経過報告メール
宮崎さんのメール体験記
「直筆」ではないのですが、メールで体験談を書いてくださった宮崎恵さんです。
とても素直に、しかし的確に書いていただいたので、ほとんど編集や修正する必要がありませんでした。
また長文なのですが長さを感じさせない文章のうまさというか、そのときそのときの状況と心の動きを、リアルに、飾らずに書いておられるので、後から来られる方にはとても参考になると思います。
なお、本編の後に経過報告メールを2本を付加しています。リアルタイムに状況を書かれていますので、臨場感倍増です。
宮崎さんは横浜在住のプロのネイリストで、自身講師の資格&経験もあります。この秋に結婚を予定していますが、米国在住経験もある彼氏の力強い後押しもあり、かねてからの夢である海外体験を果すべく半年だけの期間限定ワーホリで来られました。
泣いて笑って滑って転んで感動していたシドニー時期も終わり、さあいよいよ待望のラウンドだあ!というところで、東日本大震災が起きてしまいます。彼も大阪に転勤になってしまい、二人の住まいも変わってしまいます。優しく理解のある彼氏やご家族は、「いいからオーストラリアに居なよ」と言ってくれるのですが、この大変な時期を彼と一緒に新生活を築いていくことが何よりも大切に思えた宮崎さんは、悩んだ挙句、予定を変更し、日本に帰国される決断をされます。
帰国することで「初志貫徹出来なかった」的、忸怩(じくじ)的な思いもあった宮崎さんですが、僕もメールでお返ししましたが、こういう場合は、むしろ「日本にワーホリに行く」くらいの感じで捉えるべきだと思います。ワーホリの意義は人それぞれでしょうが、本質的には「チャレンジ」だとするなら、そしてオーストラリアよりも日本の方がよりチャレンジングな環境にあるなら、そちらを選ぶのも全くアリだと思うからです。国境なんか関係ない。全て連続しているのだと。
ということで今頃は不慣れな大阪で頑張っておられると思います。
でも、いいですよ〜、大阪。僕も東京から大阪に行ったクチですが、あれは「外国」です。いい意味で。ゴハンも美味いし。東京とオーストラリアの中間みたいな感じですから、考えてみれば良い着地点、良い展開でもあります。心残りのラウンドは、あとで彼氏と二人で来たらいいです。転職など何かの節目にたっぷり時間を取って、数ヶ月の新婚ラウンドとかね。今丁度、過去に体験談でも書いてくれた堀江さんが、オーストリア人のダンナさんと二人で新婚世界旅行をしてますから、そのくらいの感じで。
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林香菜子さんのラウンド修了後の帰国直前体験談です。林さんには最初から最後まで協力していただいて、
到着一週間後のインタビュー動画、そしてラウンド途中の体験記も既に書いていただいています(
↓すぐ下の302頁以降。実は、そのほかにも学校修了後・ラウンド前インタビュー、この帰国直前インタビュー動画を撮ってたりして(未公開ですが)。
堂々15頁の長編ですが、山あり谷ありの展開と分かりやすい文章のおかげで、長さを感じさせずに「ふむふむ」と読み進めてしまいます。ファームやウーフの個別の仕事の具体的な内容、給与など細大漏らさず書いてくれているので資料的価値も大きいです。
しかし、やはり特筆すべきは、「事前の思惑や計画など立てるだけムダ!」という教訓です。林さんが涙が出るくらい望郷の念にかられたカナーボンでの「最高に楽しい日々」も、たまたまヒッチハイクで出会ったおばさんがキッカケだったりするわけです。その代わり、ジンベイザメと泳いだり、カリジニでのツアー、ウーフ体験など「やりたいことをやる」場合はかなりの高成功率を誇ります。つまり
「成功しようと思うと大体ダメで、やりたいことをやると運が廻ってくる」こと。さらに彼女も最後にラインマーカーを引いて力説しているように、
「とにかく具体的に動いてみること」だと思います。第二に、カナーボンでの輝ける日々も、最初は「うげ、、」と絶句するようなマイナス印象から入っていることです。それが時を経るごとに慣れていき、しまいにはサイコー!になるという。ここが超難しいのですが
「直感は信じるけど、印象は信じない」ということですね。最初マイナス100点くらいから始まって最後にはプラス100点になるというのは、よくある話です。第三に、
「客観的には最高でも主観的には最悪という巡り合わせの時期がある」ということです。タスマニアのウーフで、最高の自然とホストに恵まれハッピーである筈なのに、全期間通じて最悪のメンタルになる。何が悪いわけでもないのに気持ちがズーンと落ち込むときはあるということ。第四に、これを抜け出すキッカケは大号泣で、とにかく吐き出す、そして海底に着地することでしょう。僕も経験がありますが、死ぬほどしんどい時期というのは、沈み沈みながらいつかどっかで海底に足がつきます。そこが終着駅で、あとは海底をポーンと蹴って浮上していくように、なにもかもが好転していきます。よく
「足が着いたら大丈夫」と言いますが、ほんとにそうです。しかし、5年分くらいの人生経験積んだのではないかな。
ところで林さんは移動する度にトラブルに見舞われています。西でも洪水、東でも洪水、飛行機は飛ばないバスは動かない、ピンチ!ということばっかりです。もう祟られているのではないかと思われるくらい。後日談では日本に帰国するときも"hayashi"違いの別人の搭乗券を誤発券され、あやうく変なところに飛ばされる寸前だったそうです。しかしこれだけ移動トラブルに遭遇すれば、予定変更や切符の振り替え交渉などの電話英語もかなり上手くなったのではないかな。看護士の他に旅行代理店になれるかも(^_^)。
あと、林さんはラウンド中、結構あちこちで他の日本人達と出会ってますが、若干の例外はありつつも、日本人特有の自閉的な人々が多く実りが少ないようです。普通ひょんなところで濃くて面白い日本人に会ったりするもんですけど。まあ、アレンジド・ファームの日本人部落は論外にせよ、ここに書かれてませんが、とあるファームでは、異様なまでに部屋にひきこもってた日本人グループがいたそうです。そういうのって逆にメチャクチャ目立つんですよね。内部でも仲良さそうにも見えず、やたら不機嫌そうで、詰まらなそうで、ひたすら部屋でPCいじってて、最後はキッチンの鍋まで盗んでって皆からサイテー呼ばわりされてたそうですが、何が楽しくてラウンドやってんだろ?という。「世間が詰まらないのは、自分が詰まらない奴だからそう見えるだけ」ってやつですかね。
林さんは既に帰国され、家族や彼氏と旧交を温めているでしょう。「計画停電ですよね、、夏前に二回目で来ちゃおうかな」とか言っていたのですが、二回目の構想&日本での構想でウンウン悩んでおられました。ここでも「計画は倒れる、やりたいことをやる」原則、「とにかく具体的に動く」原則でしょう。ただし、オーストラリアでつかんだものを、日本の環境で忘れずにいられるか、これが新たなチャレンジになろうかと思います。1年前のシェア探しを思い出して、「あんなことでアップアップしてたんですね、うふふ、かわいい」と微笑んだ余裕の林さんですが、それだけ成長したのですから、それを日本の現実に還元させてくださいまし。これ、結構難しいですよん。
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錦織さんの3週間だけの高密度体験談(
Part 1、
Part 2、
Part 3、
Part 4、さらに再度ワーホリとしてこられた直後の
みんなの動画館/錦織さんシェア探し直後編などで、既に破格の足跡を残している錦織さんですが、満を持してのラウンド修了後のワーホリ総集編体験談です。
35件×一件最低30分以上会話するというシェア見学で始まった今回のワーホリですが、シドニー時代は英語教師としてのスキルを磨くため、TECSOL(児童英語教師養成)そしてTESOLとニ連チャンでハードの勉強に励む一方、パディントンのジャパレスで黙々とバイトをします。ジャパレスといっても場所柄客は100%オージー、マネージャーはNZ人ということで、結構鍛えられたようですね。
しかし、こんなのはその後のラウンドからみたら、やはりただの「準備体操」に過ぎません。彼女のラウンドは、幾つかの点で一般的なものとは一線を画しています。例えば、@グルリと一周ではなく、アデレード&メルボルンを激しく往復しながら、そのあたりを起点にしてダーウィン、パース、タスマニアまで足を伸ばし、パースは二度も行っている、A、ハナから二回目ワーホリは眼中になく、またお金稼ぎも後回しにして、ファーム労働ではなくもっとディープな体験を求めている点などです。以下に紹介するHelpXとトロンボーンのバスキング(街頭演奏)です。
HelpX(ヘルペックス)は、WWOFFの家事労働版のようなものです(
メインサイト(
別窓))。両者ともヨーロピアンの旅行者にとっては双子のように知られているそうですが、オーストラリアではそれほど著名でもなく、また職種の関連で二回目ワーホリ制度とも馴染みにくいのでそれほどメジャーな存在ではないですが、ツボを心得れば非常に濃密な体験ができます。二回目ワーホリを考えていない人(年限で無理とか)には有力な選択肢になるでしょう。ヘルペックスは、雑多な家事労働とバーターでゴハンと宿が与えられるものですが、面白いのはヘルパー、ホスト双方の情報やクチコミが与えられることです。錦織さんがタスマニアに行ったのも、クチコミ紹介によるもので、いわば「出張」で行ったようなもので、働くだけ働いたら観光もせずにとっとと帰ってます。
錦織さんは、ダーウィンの近く(といってもかなりあるが)の廃坑跡で自給自足的に暮している自由人ロビーのところにヘルペックスで行きます。これがもう田舎と呼ぶのも愚かしいほど、もう笑っちゃうような原始人生活で、「森の生活」「森の人」と通称していますが、ここが白眉になります。ほんと、まんまクロコダイル・ダンディの世界というか、それ以上だわ。カンガルーはおろか、野性の牛、バッファロー、野性馬すらもいる。二人の可愛らしい娘さんとともに、釣に行ったり、洞窟を探検したり、自家製激ウマ黒ビールを満喫したり、「心がつるつるに洗われる」1ヶ月を過します。詳しいことは体験談を。そして錦織さんの許可を得てFacebookから、そしてFacebookにも載せていない写真をどっさりいただきましたので別途掲示します。
錦織さんのラウンド写真集(その1)(
別窓)
錦織さんのラウンド写真集(その2)(
別窓)
体験談に書かれていないことで補充しておくと、このテの自由人原始生活を送っている人(オーストラリアにはよくいる)は、かつてしっかり仕事をしていて趣味で自由生活をしている人が多く、学識レベルも高いインテリさんが多いとのこと。ダーウィンのロビーさんも、一人で何でもやってのけれるスーパースキルを持っているのですが、その本質は「森の哲学者」であり、彼のお兄さんも同タイプだそうです。いつぞや彼らが友人(作家とか教授連中)と談笑しているのに錦織さんも同席したらしいのですが、もう英語がどうとかいう以前に議論の知的レベルが高すぎて全然ついていけなかったとか。兄弟の間にお姉さんがいるそうですが、自由人兄弟とバランスを取るように、これはしっかり地に足の着いた上流階級のフレンドリーな奥様だったそうな。錦織さんがメルボルンで2000ドル騙し取られて(あー、また!)残金20ドルになったとき、この3兄弟が地の果てから駆けつけて助けてくれたそうです。
フリーマントルでやっていたトロンボーンのバスキング話も書かれていない「いい話」がいろいろあって、「いつも楽しみにしてたよ、今度は僕だけのために吹いてくれるかい?」と50ドルをポンとくれた話や、海辺でたそがれていてヤケクソで吹いてたら遠くにいた二人が大喝采してくれたり。
他にも山ほど話はあるのですが(5連チャンで日替わりで告白されたという人生最大のモテ期とか)、別途インタビュー動画も撮りましたので、いつか紹介できるでしょう(しかし、これまでの未編集動画も溜まりまくっているし、いつのことやらですが)。
錦織さんはたった9か月の滞在、ラウンドも5か月間でしたけど、「二回目ワーホリ、要らんよね」って感じの濃厚なものだったと思います。濃厚すぎて半分固体になっているような。ラウンド中に日本人にあったのはたった二回(そのうち一回は旅行に来たお母さん)。別に避けてたわけでもなく、普通にしてたら普通に会わなかったそうで、そこまでローカルレベルというかグルーバルレベルで「普通」になれたら、もうワーホリはいいでしょう。とっとと次のステージに行ってください。まだまだ山ほどステージはありますから。
最後に、この種のハイパーな滞在体験をしている人を、一種「特別な人」のように見る向きがあると思いますが、それは違う。最初から天才的に何もかも出来たわけではない。錦織さんも、シドニーを離れた最初のインパシで隣の人に話しかけるのに「足が震えるほど恐かった」そうですし、フリーマントルのバッパーでも70人のヨーロピアン対アジア人は自分一人というあまりのアウェー感覚に「居場所なし!」的やるせなさを感じたそうです。勇気を持って行動することを「清水の舞台から飛び降りる」という表現がありますが、「清水」やらなきゃ世界は広がらない。もし、錦織さんをはじめ「特別な人」が何かしら違うとするなら、清水を飛び降りた回数の差だけでしょう。
帰国後の錦織さん+インド行
帰国後も折にふれメールを戴いていた錦織さんですが、帰国してチンマリまとまるどころか、逆に加速度がついて止まらなくなってます(笑)。
国際訴訟の事務所で英語を使うところに就職して、アメリカ人の弁護士や鬼のように英語が出来る日本人のおばさま達に囲まれて刺激を受け楽しくやってるかと思ったら、「もっともっと!」で今度は早稲田の大学院の国際関係アジア太平洋研究科で窓口業務に移り、さらにそこで知り合ったインド系の学生さんのご実家にホームステイさせてもらうためにインドに行く。インドに行ったら行ったで又ビビビ!と来て新しい展望を掴んでくるという。まだ帰って半年しか経ってないんですけど、ほとんどラウンドのペースのまんまやってますね。
「シェア探しで行き詰って、30件を過ぎた頃すれでも決まらない焦りと苛立ちに、シティのワールドスクエアの地下で半分泣きながら「なんでシェア探ししてるんだろう、私」と思ってた・・・・・その答えがここにあった!!!!!みたいな感じです。」という一節が印象的です。
そうなんですよね、ワーホリや留学中でやったことや感じたことは、ぜーんぶ「布石」なんですよね。あとになってそれがジワジワと効いてくるという。
帰国後レポートは、他にも戴いているのでもっとフィーチャーしてもいいかなと思ってます。なぜって、ワーホリや留学というのは一回性のイベントではなく、いかにその珠玉の体験をその後の人生に活かしていくか?というもっともっと大事な作業工程があると思うのです。ここがダメだったら「何のために行ったの?」になっちゃうし。
ということで、錦織さんの帰国後レポートです。
→帰国後の錦織さんとインド行
タジマハールをバックにイケメンのお兄さんと写ってる(↑)錦織さんですが、もとギターキッズの僕としてはインド体験談に出てくる一枚の写真に目を引かれました。そこで錦織さんが抱えているギターが、ヘッドの形からしてジャクソンタイプであると思われ、「ほう、結構ハード目の音をやってるバンドなのかな」等とそんなことに興味がいってしまったのであった。
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林香菜子さんの経過報告です。林さんは既に
最初の一括パック終了時点でのインタビューで動画館にも登場していただいています(
別窓)。今回のノートは、
既に4か月のラウンド中にシドニーに立ち寄ったときに書いていただいたものですが、時間がなくシドニー学校時代だけで終ってます。
本当は全部そろってからUPしようかと思いましたが、いつのことやら分かりませんのでとりあえず上げておきます。
林さんは生まれも育ちも東京の看護士さんです。来た当初は突き詰めるくらいに真面目な印象だったのですが、段々とほがらかに融解していき、滞在8か月の今回のノートでは、むしろひょうきんなくらいに「うっひょ〜!」というステップの軽いものになってます。全部終ったときのノートが楽しみですね。
内容は、シドニー時代にティピカルなエピソードが散りばめられています。シェア探しは動画でも紹介したように根性で粘り勝ち、途中レント削減を意図して安めのシェアを探すという定番のパターンになるも、探してみるとなぜ今のシェア先が最高なのかという原点確認をするに留まり、あっさり継続。最初にビシッと探した人はあとはもう動かない場合が多いですね。でもって、カバン盗難事件。これもお約束だな。初日に「やるな」と言ってた「フードコート椅子ランドセル掛け」をやるんだもん。でも「やっとけ」といってたパニックノートを作成しており、また「やると面白いよ」というエクスチェンジのパートナーのオージーに事後処理のほとんどを助けてもらいます。あとジャパレスの低賃金に地元のオージーが激怒するというのもよく聞きますし、日本人オーナーのイヤミに精神的に傷つき、しかしお客さんのオージーに助けられるというのも定番に近いパターンです。よしよし、順調に修行も進んでますね。でも、RSA落ちたというのは珍しいですね〜。修行し過ぎてますね。もうこの心温まるエピソードだけで友達30人は作れるでしょう。
ラウンド4か月の話も既に僕は聞いているのですが、もう桁違いに面白くなってます。大体誰でもそうですが、シドニー時代は「庭を元気に駆け回る子犬」くらいだったのが、ラウンドに出て波に乗ってくると「野に放たれた虎」になりますから。林さんもパース始まりで最初は時給がどうの、バッパー代が高いとかお悩みの時期もあったのですが、やがてカーナボンが「心の故郷」になったようです。その後よせばいいのに東海岸に移ったのがケチの付き始めで、最後は洪水で動かないグレハンにしびれを切らし、洪水QLDを便乗車を探し当ててシドニーに帰還。席が温まるヒマもなくタスマニアに飛び、到着数時間で仕事ゲットと思いきや、最新情報では放火騒ぎに遭遇したり、なかなかの虎ぶりです。
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Yさん(男性)です。神奈川県出身、大学出てから悩みつつオーストラリアへ。
彼の体験談はさらりと書かれているのですが、本当はもっと複雑というか、ドラマチックというか、面白いです。というかYさん自身のキャラが陰影が深くて面白いのですね。そのあたりをインタビューで突っ込もうと思ってたら、うーうー唸って書いているうちに時間切れになってインタビューもナシです。惜しい。ですので多少補充的に書いておきます。
彼は見た目、都会派の遊び人で、それなりの遊び人的実績もあるのですが、でもチャラついてない。すごい昔の言葉でいえば、良い意味での「軟派の不良」。頭は良くて高校入試でもペーパーはバッチリだけど内申書で落とされたり。某有名私大の法学部を出て、順風満帆に就職すればいいのに、何かがひっかかってそうしない。一見チャラチャラ遊び歩いているようで、実は反骨精神が強いからそうなってる風なのです。僕と彼との会話は、政治、経済、国際系のハードネタが多いです。かなり突っ込んだことを聞いてきますし、水準も高い。また日本でも新聞の営業のバイトを真面目にコツコツやり続けたり。だから素材は硬派なんだけど体質が軟派だからうまいこと統合出来ないというか、そこが彼の面白いところです。
体験談でも、学校1ヶ月目は馴染めなかったと書いてますが、普通の日本人留学生やワーホリでは馴染みにくいと思います。下に書かれたAPLaC出身のM君やI君とは友達としてラウンド中も親交を深めていたようですが、普通の学校生活では物足りない。内申書が悪いわけよね。で、2か月目でブレイクしたのは、トルコ人やコロンビア人達と遊ぶようになってからです。
これもさらりと書かれてますが、実はサッカーで思いっきり顔面を蹴られて鼻骨骨折か?というシリアスな事態に至ってます。地元の医者の見立てでは骨折はしてないと、しかし本当にそうかと心配になり、そのときにヘルプ電話をいただきました。イケメンのY君の鼻が曲がっちゃってたらしいです。M君の話によると、「Y君は俺はイヤだ、やりたくないって言ってたのを無理矢理僕らが連れて行ったんですよね。で、あんなケガになっちゃって、だから、もう可哀想で、、」と。
体験談に書かれている「4人の仲間」というのはベトナム人やドイツ人ですが、彼以上にワイルドな連中らしく、彼はもっぱらいじられキャラだったそうですが、そのくらいの方が彼には合っているのでしょう。でもってM君がドイツ人の彼女と宜しくやる頃には、彼もまたオージーの女性(こちらで生まれたベトナム系)と親密になったり、なかなかいろいろあったようです。全然体験談に書かれてないけど。
今、彼はオーストラリアを出てシンガポールに飛び、そろそろベトナムあたりにいるのかな。アジアにはその仲間達が先に行って待ってるそうです。でもって、その彼女も待ってたりして。男Y君、悩んでましたね。彼の硬派の血は、やはりビシッとしたプロフェションになりたい、ナニゴトかを達成したいということを求めます。確かに、他を寄せ付けないだけの技量を身につけ、一匹狼のプロとして生きていくの
が彼には合ってると思います。しかしその為には地獄の修行期間が待ってます。修行だけだったら彼はこなすでしょう。しかし、反骨的軟派体質がその袖を引っ張ります。素敵な人も待ってます。仕事に生きるか、恋に生きるか、ああ、どうしよう、、ってな感じでしょう。いいなあ、青春してるよなあって、僕は無責任に目を細めているのですけど(ごめんね〜)。はて、どうなることか。
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Mさん(男性)です。大阪出身、沖縄の大学の中途でワーホリにやってきた、ナイスガイです。
大阪弁全開の彼の体験談は傑作です。「俺、文章書くの苦手やし、、」とか言っては書きあぐね、2枚くらい破って捨ててましたが、出来上がってみれば、インパクト&面白度で歴代ナンバー1の声が高いマグロ漁船のKさん(25、33、34頁)に雰囲気がよく似た、素晴らしい体験談でした。目の前にいて大阪弁でしゃべられているような気がするくらい肉声度が高い。そういえば二人とも珍しくヨーロピアンの彼女作ってたけど、この手のタイプはモテるのかな。あと共通点といえば、サーフィンやって、学校時代死ぬほど勉強していたという点ですね(かなり上級クラスまでいけてたし)。
内容的には読めば一読了解のわかりやすさですが、内容よりも放出されるオーラ量が凄い。日光浴のように浴びてください。
文章だけ読むと、弾けまくった豪快君なイメージがあるかもしれませんけど、実物は案外と物静かで、シャイだったりします。ビデオもメモリアルとして撮ったんだけど公開はなし。こっぱずかしいからと。皆、あなたを見たいと思うと思うよ(^_^)。
Mさんの文章は子供がそのまま大人になったような生き生きしたものですが、本人は子供っぽいわけでもなく、それどころか20歳という年齢からしたらかなり大人だし、相当に賢いですよ。子供は誰でも強い生命力を持っているのですが、大人になっていく過程でだんだんとそれが擦り切れていきます。でも、彼の場合はそのスポイル度が低い。萎(しお)れない。オーストラリア人やヨーロピアンによく見られるタイプです。だから子供のように強いです。文中をみても「たのしかった」「おもろかった」であり、通ってた学校が倒産しても「あれはあれでおもろかった」になるし、英語でも「じみちにしこしこがんばるしかない、でもそれがたのしいのです」と。普通の人がネガティブモードになるところを彼はならない。なぜか、面白いからでしょう。何を見ても聞いても面白く感じる。
Mさんは、大学に帰っていよいよ就活。やってるのかな、今頃。企業に入っても擦り切れたサラリーマンにならないように。まあ、彼は大丈夫だと思うけど。
内容面で若干の補充をしておきますと、ヌーディスト・ウーフが「半分ハズレ」の意味は、スパに入るのはおっちゃんばっかで実際問題、銭湯の男湯と変わらんかったことと、半分アタリは、そのかわり人間的にはいい人ばかりで楽しかったことです。でも、メシ、まずいんか。書いてないけどシドニー時代、お金がないので週5日ジャパレスで働いていたMさんですが、しかし1日3時間程度。オーナーはメチャクチャな人だったらしいのだけど、あそこまで破綻してると逆に気にならなくなるし、賄い食べまくりだったので、Mさん的には「まあ、メシ食いに行ってたようなもんです」と。彼からヘルプ電話をもらったのはマルーブラのシェア先で泥棒に入られたときと、所持金100ドル以下になった時点でアデレードからレンマークに行くかどうか迷ったときでした。後者の場合は、周囲から「絶対止めろ」と言われまくってたらしいのですけど、「でも、行くつもりです。そんなん行かなわからんし」と言い切ったところがMさんの強さなのでしょう。
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Iさん(男性)です。彼の体験談は一風変わっていて、とても面白いです。
東京の広告制作会社でコピーライターをされていたIさんは、SFや、中世西欧史の研究など引き出しを沢山もっている知性派です。来た時点でTOEIC860点(帰国時965点)という英語の実力もさることながら、SFの新刊を読みたくて原書で3年くらい読んでたら自然に出来るようになったという部分が凄いです。文中にも出てきますが、ラウンド中に小遣い稼ぎに翻訳のバイトもこなしています。彼の英語勉強法は参考になります(てか、近道はない!に尽きるのだけど)。
英語力も、資金力も、そして現場のビジネス経験も相当な水準で有していたIさんですので、視点や行動がいわゆる一般的な「ワーホリ」のイメージと違ってくるのは当然と言えば当然。目的が「はやぶさ目撃」「世界SF大会出席」であり、やり残したこととして「せっかく来たんだから学位(修士号)くらい取ってけば良かったかな」と言うわけですから。でも、僕が一番Iさんをエラいなと思うのは、これだけ実力がありながらも、ジャパレスのバイトとかファーム仕事とか、ワーホリ的なことも躊躇わずにトライしていることです。ジャパレスのオーナーのお説教も、支給される給与も、彼にとっては微々たるもので、だから「大ハズレ」という結論になるのだけど、そう言いながらも黙々と何ヶ月か働いています。ファームを求めて放浪したり、カーナボンでリアル蟹工船体験をしたり、やることやってるのですね。全然報われてないけど。でもやるところがすごい。
で、当然ながら視点が違うので面白いです。バンダバーグを地元の英語情報をもとに客観的に評してみたり、かつて仕事でやった博物館学に照らしてオーストラリアの博物館の水準の高さを評したり。はやぶさ突入の際も、どこからどう見えるか事前情報がないので、自分でデーター(突入角度など)を元に三角関数(タンジェント)で計算してそれをネットで公開し、世界中の仲間と情報交換しつつ見事目撃に成功し、NASAの人や日本の国立天文台の人達と交流したりしています。日本をはじめ世界に配信された有名なはやぶさ写真には彼のシルエットも写っています。
彼の奥行きは、
彼のブログをみてもお分かりになると思います。「2010年ヒューゴー賞候補作を読む」とか。だからこの体験談は、いわゆるワーホリ体験談というよりも、作家の紀行文(「街道を行く」みたいな)的なオモムキがあります。もっとじっくり書いてもらうべきでした。ところで、彼の体験談が異色に見えるのは、それはいわゆるワーホリの「イメージ」から離れているだけで、現実には彼のような方は沢山おられると思います。「ワーホリ」や「留学生」という名前の人はいないのだし、そんなカテゴリー、よその国のビザの種類に過ぎないんだし。
現在、Iさんは残り少ないワーホリ生活をメルボルンの世界SF大会に費やしているでしょう。日本に帰っても仕事に自己実現を求めるのはもう止めます!とキッパリ言い切り、文芸翻訳を人生のメインに据えようというIさんですが(既に何本かの短編も訳しているし)、いずれ書店の棚でお会いしましょう。
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Tさん(女性)です。兵庫県で医療事務をされておられました。
彼女はいつもニコニコしてて、屈折度の少ない素敵な方でした。「すこやか」という言葉がよく似合う。
性格にふさわしいとっても素直な体験談を書いていただいています。サラリと読んでしまいそうですが、しかし実はけっこう微妙に深かったりします。書き終わった後のインタビューで結構突っ込んだのですけど、彼女の1年のパターンというのはとても興味深いのですね。彼女、学校が終った後に、シティに住んでシティ近くのジャパレスで働いて、ラウンドではケアンズに長逗留し、そこでも又ジャパレスで働いています。結局ファームはなし。これだけ見てると、結局日本人村の引力圏内に留まっていたかのようですが、実は全然そうではなかった、というところが微妙に深いです。
学校もエンジョイされていますが、ランチを食べるテーブルでも国別テーブルではなく、多国籍テーブルが面白いので指定席になってましたし、シティに住んだといっても日本人は彼女一人だけ、シティ近くのジャパレスもOxford St近辺だからお客さんもオージーが多く、スタッフも日本人以外、ケアンズのジャパレスも2軒掛け持ちしていたそうですが、オージーのお客さんが多い店が楽しかったという。結局、日本人村にいるようでいて、常に非日本人的な環境にあり、その非日本人的な環境を楽しんでいたという。
Tさんは、最初Sydenhanというドローカルなサバーブに、与党政党に勤務しているオージー女性(ラッド元首相、ジラード現首相それぞれとのツーショット写真が飾られていた)とシェアしています。しかも通学4か月中楽しくやってます。つまり全然ローカルでもOKなのですね。それがその後に日本環境になっていくのはなぜかというと、@いちいち現状が楽しすぎること、A次のステップに向うときに安全策をついとってしまうこと、でしょう。通学中にバイトしたって良かったのですが、学校があまりにも楽しいので働く時間がなかった。卒業後思い切って旅立てばいいけど、手堅く資金を貯めようとして、安いシティ近くのシェア+ジャパレス生活に入った。しかしそのジャパレスがあまりにも楽しく、ついついシドニーに長っ尻をしてしまった。ラウンドでももっと奥地に行けばいいけど、とりあえず手堅く馴染みのあるケアンズに行き、ジャパレスで働くが、そこでもローカルのオージーとのふれあいが楽しいからまたエンジョイしてしまうという。「えいや!」という苛烈な瞬発力はないのだけど、その分どこにいっても現状のローカル色を存分に楽しんでいる。
彼女の場合、バリバリ野性的なラウンドも多分余裕で出来たでしょう。でも自分のポテンシャル(潜在能力)と意識との間にギャップがあって、とりあえずは手堅く日本人的なベースを辿るのですが、それはキッカケに過ぎず、実際にやってみたらローカル的にエンジョイしているという。でもって、どこにいても楽しくてたまらないから、終ってみたら「楽しかった!」という充実感だけが残るという。というわけで、結局、Tさんって、どこで何をしてても楽しいんじゃないかな?って気がしますね。「触れるモノみな黄金になる」ではないですが、楽しい環境を構築するのが上手というか、そこが「すこやか」だと僕が感じるゆえんです。そして、それが十分だったら、そもそも苛烈な瞬発力も何も必要ないのかもしれませんね〜。ね、深いでしょ?
ちなみに全然彼女は「問題児」ではありません。Why did you say so? Got to be proud of ! それと友達のカード・スキミング事件はヘルプ電話をいただきましたが、ナニゴトもなく、杞憂に終りました。
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福岡から来られたSさん、千葉から来られたOさん、ともに女性です。
このお二人は、日本から友達だったわけでもないし、シドニーでの生活も軌跡もバラバラであり、本来ならば別々に掲載すべきなのですが、敢えて同じ項に掲げます。理由は、同じ週に来た”同期生”であり、最後に挨拶に来られ、このノートを書かれたとき(+UP予定の動画インタビュー)もご一緒だったというだけではありません。本質的なテーマ性が似ているからです。ともに二回目ワーホリがありえないオーバーサーティであること、そして何よりも真剣な恋愛関係が1年間のワーホリ生活、さらに将来の人生に深い影響を与えているという点で共通するからです。キーワードは、「女30歳、ワーホリ、恋と結婚、そして人生」です。なんかこう書いてしまうと陳腐に見えるかもしれないけど。
まずはSさん。日本旅館でビシッと働いていたしっかり者のSさんですが、体験談には全く触れられていないのですが、渡豪前半の最大の課題はお金でした。「ああ、お金が十分貯まってない、しかしワーホリのタイムリミットが!」という見切り発車でやってこられたSさん、頑張ってキングスフォードの個室120ドルという掘り出し物シェアに行かれます。いよいよシェア移動の際になって、「やっぱり120ドルなんか安すぎますよね、怪しいですよね、超ボロいし、床なんかコンクリートで、、」とネガティブモード炸裂のSさんですが、実際に僕が一緒に行ってみると、麗しくはないものの十分だし、床もきれいなフローリングだし、なによりもオージーのおっちゃん二人が、これぞオージーという感じでナイスな人達でした。また家も、これぞ伝統的なオージーの家って感じでした。「全然いいじゃん」「そ、そうですよね」でシェア生活が始まったSさんでした。
さっそく仕事探しに入るのですが、お金がないない言ってる割には見つかってないようで、おかしいな?と思いきや、来豪1か月目で素敵な彼氏を見つけてしまっていたのですね。以後お金の話はあんまり出なくなり、体験談でも全く触れられなくなり、さらに「なんか簡単に生活できちゃうので、バイトはむしろ控えめに」なんて余裕の発言をしてました。それよりもSさんのワーホリを彩っていたのは彼氏との生活でした。韓国人の彼氏で、日韓カップルは良くあるパターンなんだけど、あまり韓国人っぽくない人らしく学生ビザで頑張って永住権を目指しておられるそうです。Sさんの悩みは、念願のラウンドに出たい、しかし彼がワーホリではないので同行できないという板挟みです。そのためパースに出かけ、マーガレットリバーで執念の仕事ゲット(街中の全店にレジュメを配って歩いた)をしたものの、彼氏が心配になりシドニーに帰参、しかししばらくして東海岸にまた出かけ、悪名高いバンダバーグでまたしても根性でファーム直契約をもぎとり、最高のシェア先にも恵まれます。で、またシドニー帰参という行ったり来たりを繰り返してます。一見中途半端に見えるのだけど、限られた時間と機会だからか、漫然とありきたりのラウンドにならずに、高密度のものになってます。
来る前も来た後も、お金もないし英語もダメだし、、で年中不安がってたようなSさんですが、終ってみれば、恋もラウンドもシェアも仕事もかなり美味しいところをしっかりゲットしています。Sさんって見た目は普通の現代女子なのですが、九州出身+いかにも和服の似合いそうな旅館勤務という先入観のせいか、どこかしら「明治・大正の女」というイメージが僕のなかにはあります。与謝野晶子みたいな。恋も人生もひたむきで、その直向き(ひたむき)さが胸を打つという。一旦帰国のあと、再び学生ビザでオーストラリアに戻ってくるSさんは、11か月間育んだ彼との恋を将来的にカタチにしていくという新たなステージに上ります。
恋愛でいえばOさんは渡豪時点で既に人妻でありました。東京近郊の自動車ディーラーで働いていた、都会的な若奥様風のOさんは、ダンナさんの理解を得て、かねてから念願だった海外生活をカド番ギリホリで始めます。期間はおよそ半年だけという前提で来られたOさんですが、結果的に言えば1年滞在してしまい、ダンナさんとは離婚、シェアメイトと結婚かという、まさに本人が体験談で書いているように、「いや〜、人生変わっちゃいました!」という変転を迎えます。
Oさんの体験談は、ご本人の性格もあってかサラリと流していますし、さかんに自分の弱虫ぶりをアピールしてますが(^_^)、かなり注釈が必要だし、相当深いです。まず、「弱虫だから日本人シェアになった」と書かれてますが、シェアメイトは日本人といっても中学からはイギリス、そしてカナダの大学を出て、バリで起業し、シドニーにも二店舗経営しているということで、日本国籍で日本語も問題ないのですが、頭の中身はオージーというよりも文字通り世界市民です。だから日本人シェアというよりも、日本人じゃない部分が良くてシェアを決めているのですね。
第二に、そのシェアメイトと恋に落ちたから離婚したのではない、ということです。彼女が半年期限を延長したのは、そういう恋愛沙汰とは関係ないレベルです。自称弱虫のOさんは、それがゆえにお店で何を買うだけでも大冒険であり、同時にそれは「出来た!」という大きな達成感を産みます。その達成感がひたすら心地よく、日本にいるとき忘れかけていた「生きている!」という実感と快感を甦らせ、その蘇生快感の強さが彼女に延長を選択させています。そして、それによって生まれ変わったのか、もとに戻ったのか、ともあれ脱皮アップグレードしたOさんが前向きに選択したのが離婚であり、シェアメイトの人と一緒にやっていくというのはその後の話です。
なんでそんなに解説できるのかといえば、インタビューでそこを突っ込んだからですし、なによりも僕自身がそういった経験をしているからです。僕もこちらに来て、そのあとに離婚してますから。僕も、そしてOさんも、相手との間がダメになったとか、そういった愁嘆場ではなく、自然と互いの生きていく道が違ってきたので、「じゃあ、こっからは別行動ね」という発展的解消です。なんかこう書くとキレイゴトっぽくて嘘くさく感じられるかもしれないけど、そーゆーことってホントにあります。てか、実は多いんじゃない?
日本に帰国し、未だに夫婦別姓になってない日本で、名義変更などあれこれ”事務作業”にいそしんでいるOさんですが、時を置かずまた来豪され、第二幕を始めるのはSさんと同じです。しかし、Sさんにせよ、Oさんにせよ、同日にシドニー空港に着かれ、僕もお迎えにいきましたが、1年経過してこうなるとは。でも、ほんとに人生なんか簡単に変わっちゃうし、もっといえば変わらない人生なんかこの世にあるんか?ってくらいです。
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I君(男性)。横浜の大学を休学してきた20歳のナイスガイです。
長めの髪、物静かでニコニコしているI君は、見た目女性的で芸術家タイプだったりするのですが、実は内面は剛毅で、行動もサクサク&ガキガキやってくれてます。シェア見学初日も、あちこち行かねばならない難易度の高いルートになってしまったのですが難なくこなしていたのを覚えています。飲み込みが早く、又あまり大仰な感情表現をしない人なので、大変なことをやってても大変そうに見えないし、ネガティブな愚痴もまず言わない。危なげがないというか、僕からしたら物足りないくらい手がかからない人でした(^_^)。シェアはNewtownのタイのおばちゃんの家でしたね。ここは過去にも二人行ってます。
ラウンドでは、タスマニアできっちり働いています。タスマニアって誰もが良いというのだけど、仕事となるとあまり見つからない傾向がありますが、I君はここで幾つも仕事を見つけており、それだけでも珍しいです。その他レンマークやキングストンなどでも仕事を得てますが、印象に残ったのは短期間だけどWWOFFだそうです。家族だけの小さな家なので、何でも作っており、収穫だけではなく、オリーブオイルを作ったりヨガをやったり毎日やることが違うという。総じてWWOFFはお金は出ないけど良い体験をされる人が多いですね。
I君は食に興味があり、日本でもレストランでバイトしていたそうです。それもあってシェア先のニュータウンはシドニーの食のメッカでもあるし、WWOFFのオーガニックファームは大きな体験だったようですね。また、彼の体験談にはちょこちょこと食に対するこだわりが記されています。帰国した後の就活でも、食関係の方向に進むか、それとも専門(経営学)の方向に進むか迷っておられます。
温厚な実力派のI君ですが、これから日本でヒラからスタートするでしょうが、僕としては40代くらいの上司になった彼を見てみたいですね。物に動じない彼は、人の上に立ったときが本領発揮という気がするからです。いい上司になりそうで。超氷河期といわれる日本での就活、頑張ってください。でも、行く先々で仕事をみつけること、そして仕事の中から「何か」を抽出する技術と経験は十分に積んだと思いますよ。
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Yさんです(女性)。千葉出身で、リハビリ関係の療法士さんをやっておられました。
彼女はにこやかで知的な方なのですが、スロースターターというか、尻上がりに良くなっていく典型。「だんだん良くなる法華のタイコ」という殆ど死語に近いような日本語がありますが、後になればなるほどハッピー度が増すパターンです。その代わり立ち上がりの初動は大変。サクッとシェアを決めたと思ったらやがて煮詰り移動(不和というより、最初は好感度だったフレンドリーさが徐々に暑苦しくなってきたという程度だけど)、学校でもイマイチ弾けられずに悩んでキャンパスを変え、ライカードに住みシティに通う→モスマンに住みマンリーに通うというパターンになってます。また、バイトのジャパレスでは、いきなり厨房でフライパンを振らされ、4つのコンロを同時に駆使して火と戦うハードな日々。そのうえ、最初のシェア生活が始まった直後、シティで妙にフレンドリーなオジサンから1000ドル騙し取られるというトラブルに見舞われます。ちなみにこの手の被害は他にもあり、
HPの治安の章にも対策を書いてますのでご参照を。
かくして僕の所にも節目節目に泣きのメールが舞い込んできたわけで、ラウンド・ファーム初日にも、ブドウがうまくピッキングできないと叱られたりして、やっていけるか凄く不安メールが来ました。
じゃあ悲惨なワーホリ生活だったのかという全然!大体このノートを書き始めるまで、1000ドル被害なんかすっかり忘れていたくらいだし、ノートでも書かれているけど、「ちっさい事でいちいち悩んでいた」「笑えるほどいけてない、暗〜い」と自分で笑い飛ばせるようになってます。後になればなるほどどんどん良くなっていくわけで、タスマニア、メルボルンと経て、ミルドュラのファームでお金と二回目ワーホリ資格をゲットした後、パースに行く途中のアデレードで安住の地を得てブレイクします。居心地のいいバッパーに住み、フリアコ生活。週末は別の宿に働きに行くというだけの生活を3か月もやるのですが(結局パースは行かずじまい)、そこで沢山のいい人達に出会い、花が開きます。最後の方は、バスキング(大道芸)もやっていて、路上でオージーの名前を平仮名で書いてあげてお金を稼ぐということもやってました。お金がどうというよりも、そうやって活動すること、そしてそこで街ゆく人達とフランクに交流できるのが凄く楽しかったそうです。ちなみに彼女は書道八段ではあるのですが、ただそれはバスキングを思いつくキッカケになったとしても必須技術ではないでしょう。
かくして、最初はシクシク泣いていたカラスがやがては笑い、しまいにはサイコー!になるという絵に描いたような上昇カーブの物語です。そして、そこまでいって気づくのが、別にこれまでも悲惨でも不幸でもなかったということです。要は自信やキャリアがないから必要以上にネガティブに思いこんでいただけで、自分が達してしまえばフラットにものが見えるようになり、全てが良い思い出になっていくという。さて、1年を終えて「やっとスタートラインに立てた感じ」というYさんは、一旦帰国し、セカンドワーホリで第二章を開始されます。
なお、この勝手に内面世界でハードルを高くし、それもありえないくらい高いハードルを自分で設定し、自分でいけてないと悩むというネガティブループを作ってしまう話、それを"解脱"出来たポイント、さらになんでそうなっちゃうのか論など深いところは、動画インタビューで一緒に考えて語って貰いました。後日掲載予定ですが、はていつになるのか。
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福井県出身、看護師さんの加藤聡子さん(女性)。
加藤さんとはオーストラリアに来られる1年前からメールでやりとりしていました。来られた頃はドキドキ、ガチガチという感じでしたが、このノートを書く頃になると、ふてぶてしいまでの(^_^)貫禄がついてましたね。本当にいいラウンドをされたと思いますが、基礎力錬成のシドニー時代に、Ashfieldのシェアから4か月間、じっくりしっかり英語を勉強して、レベル3から5までいってます。語学というのは範囲が膨大すぎて非常に成長実感に乏しい領域であり、体験談でも「この時期に一番英語が伸びた!」と書ききれる人は少ないです。そう言えるということは、それだけしっかりやられたということでしょう。
ラウンドの内容ですが、「私、全然働いてないんですよ〜」と言っておられましたが、確かにそれほど働いていない。しかし、お金もそんなに使ってないし、盛りだくさんにエンジョイしています。結果的に非常に要領のいい形になっているのですが、旅先で知り合った人の車でアボガドファームで2か月働き、また旅先で知り合った人の紹介でウーフに滞在して二回目ワーホリもちゃんと取ってます。アボガドは仕事も比較的楽で、給与も良く、ウーフに至っては殆ど何も仕事がなく、大自然の一軒家でのんびりペンキ塗りをするくらいでした。ラッキーといえばラッキーなのですが、最初の計画に固執せず(計画してたところは全部ダメだった)、その場その場の人の出会いを大事にしていった成果でしょう。大体、成功パターンというのはこれで、計画にこだわればこだわるほどドツボにはまるという。
しかし、加藤さんのラウンドのクライマックスは、タリーでババナファームに挫折して(バスのジャンピングもダメ)以降で、ヒマしてるならということでトコトコと近所の養老院にボランティアに出かけるようになってからです。そこで知り合った、気のいいオージーのおっちゃんの家に無料で何ヶ月も住まわせて貰い、日がな一日のんびり癒され、料理を作ったり、色んな事を語り合ったりしていた時間が宝石のような体験になります。ちなみに、他人の家に何ヶ月も居候なんてありうるのか?なんか下心とかあるんじゃないか?と警戒してしまうのですが、全然そんな心配もなく、善意100%というか、「善意」というほど改まった感じでもなく「部屋があいてるから使えばいいじゃん」くらいの感じだったそうです。加藤さんの前はコリアンのカップルが同じように住んでたそうです。
もう一点、加藤さんの体験談では、オーストラリアの風景の素晴らしさをちゃんと書いてくれています。ここは誤解されがちというか、簡単に分った気になりがちな所なのですが、風景がキレイだとか凄いというのは、単に絶景とかいうレベルを超えて、途方もない情報量があります。見る人の人生観を揺さぶるし、「生きていることの意味」すらも大袈裟ではなく分らせてくれるだけのパワーがあります。もうそこに居るというだけで、とても意味深い体験になるという。目の前の風景を、単に「○○に来ました」という”情報”として処理しちゃったら勿体ないです。これは、加藤さんのウーフ時代やタリー居候時代の「何もしてない時間が一番の宝物になった」という感覚と同じなのですが、チャカチャカやればいいってもんじゃなく、「味わえ」ってことなのでしょう。
さて、加藤さんのオーストラリアの旅はまだ途中です。シドニーから北上し、またダーウィンから南下し、タスマニア経由で帰ってきたという東部と中央部を制覇しただけで、一番おいしい西部は最後に取ってあるということです。二回目ワーホリ期間はまだ1年近く残ってますので、これからが楽しみです。
下の中野さんもそうですが、加藤さんも動画で長いことインタビューを撮ったのですが、これがなんと3GBもあり、且つ他にも動画は山ほどあって編集作業が遅々として進んでません。もうあまりにも溜まりすぎてうんざりしているという。しかし、直筆体験談の内容を直接で喋って貰うとかなりニュアンスが正確にわかりますので、頑張って編集してます。
みんなの動画館/
★加藤聡子さんPart01-03 ワーホリ14か月目 (やっと出来ました!)
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中野彩香さんです(女性)。愛知県出身。保育士さんです。
中野さんが来られた週は、一気に4人という仲間が多い週だったのでよく記憶に残っています。Crows Nestからちょっと入ったナレンバーンの住宅にシェア。体験談中「いろいろあって6週間で出た」と書いてあったので、「”いろいろ”って何?」って聞いたら、オーナーの女性はいい人なんだけど遊びに来る彼氏(らしき人)が、その人もいい人なんだけど、妙に波長が合わなくて、、ということです。ああ、このムニャムニャ感分るような気がするな。
中野さんは、アデレードから奥に入ったRenmarkでファーム仕事をされてます。僕がサジェストしたことになってますが、Remarkという地名は、たまたま帰ってきた人数名から聞いたから、「そういえば」で言っただけです。今もAPLaC出身者が何人か居るそうですが、この種の微妙な流行みたいなものはあるみたいですね。いっとき誰も彼もがPembartonにいってたり、Albanyにいってたり。
優しい老夫婦二人のファームで温かい雰囲気で働き、続いてバッパーのオーナーのファームで働いていた中野さんですが、事故で大怪我をしてしまいます。詳細は体験談に書いてありますが、トラクターにひかれたという足の怪我で、セスナ機でアデレードまでビューンと飛んでいったという得難い体験をしています。費用も労災で自己負担ゼロ。痛い思いをされたのはお気の毒ですが、まず後遺症はないだろうし、怪我は治るが経験は一生モノです。
しかし、「一番しんどかったのは?」と聞いたら、怪我のことではなく、財布を無くしてパニックになったことでもなく、語学学校の最初と最後だったそうです。まずレベル4から入って打ちのめされ、最後に僕が「黒帯レベル」と呼ぶレベル5に進級してボコボコにされたことが一番しんどかったと。逆に「一番心に残る宝物になったことは?」と聞いたら、台湾人の親友を得たこと、シドニー以上に長期滞在したレンマークだそうです。ああ、これも分るような気がする。かけがえのない財産ですよね。
さて、これをUPする頃には1年ぶりの日本に帰国されていることでしょう。すっかりオーストラリアに馴染んで、「ところで今の日本の首相知ってる?」「え、麻生さんでしょ、え、違うの?あ、政権交代したとか言ってたな〜」という逞しい浦島ぶりでしたので、逆カルチャーショックを楽しんでください。
→みんなの動画館/中野彩香さん編
この体験談を書いてくれたあとに、動画で撮ったインタビューがあります。あわせてごらん下さい。
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Iさんです(女性)。九州は福岡出身。
僕の感覚では、Iさんってもう長いことこちらにいるような気がします。一回目のワーホリで来られたのが2007年10月で、終ったのが2008年10月。二回目ワーホリが始まったのが2009年10月。しかし、1年間のブランクの間もちょこちょこ観光ビザでオーストラリアに来られ、荷物の差し替えその他でよくウチに立ち寄ってくれているので、僕の印象ではずーっとオーストラリアに居るような気がします。なんかもう永住権取って住んでるみたいな感じ。
Iさんって、スラリとしてわりとクールな雰囲気で、あんまり「汗かかない」ような印象があるのですが、体験談を読むと汗かきまくってますね。「ラウンドしなかった組」とか言いながらも、べった5か月ファームで土と作物と格闘しているのだから、立派にラウンドしてるんじゃ、、、。というよりも「ラウンド」の定義が人によってバラバラなんですよね。なにも「グルリと一周」することがラウンドではないと思うのですが。
それはともかく、Iさん、記憶力がメチャクチャいいのか、コマメに記録を付けているのか、ファームジョブの内容と給与がビシッと列挙されています。これはかなり参考になるのではないでしょうか。ファームジョブは運だけど、競争率が高く、わりと儲からない(ファーム側の買い手市場)東海岸でよくこれだけ頑張ってきました。またよく見ると、女性にしてはコントラクト仕事(請負制、時給ではなく一カゴ収穫したら幾らという出来高払い)が多いなという印象です。コントラは体力勝負の場合が多く、本人も「めっちゃ、キツイ(コントラに限って言ってるわけではないが)」と書いてますけど。またバッパーの情報もオマケに書いてくれてます。
これからは西の方も廻ってください。もうキャリア十分だし、ディープに廻れると思います。
そうそう、ビールの差し入れ、ありがとうございました。丁度、ウチに来ていたピカピカの1年生(来て数日のシェア探し最中)の彼女たちは、あとでIさんのことを「カッコいい!」「なんかもう”大人”って感じ」と眩しく感じたそうです。まあ、オーラが違うもんね。
錦織さんの3週間だけの高密度体験談
3週間だけの体験談 Part 1
3週間だけの体験談 Part 2
3週間だけの体験談 Part 3
3週間だけの体験談 Part 4
錦織さんの3週間だけの体験談です。ちょっと変わっていて、ワーホリでもないし、直筆でもありません。かといってインタビューでもないし、どこに分類していいのか分らないからここに載せておきます。
3週間だけ、正味23日間のシドニー短期留学ですが、金曜にやってきてその足で学校を見学・即決、シェア探し特訓をし、週末までにシェア移動を果すという一括パックの超濃縮版でもあります。やろうと思えばここまで出来るという。
もともとご自身のブログ(親しい人だけに公開)に掲載されていたものを改訂編集したものですので、直筆ではありませんが、その代わり写真が104枚と超豊富です。また、お試し留学というか、半分観光旅行のようなものですので「きゃ〜!」的要素が強く、一年以上やってきた他の体験談のような「酸いも甘いもかみ分けた」かような渋いテイストではありません。まあ、3週間だけだったらそうなるよね。
ここでは、むしろ、たった3週間といえども、やる気があったらここまで濃密な体験ができるという実例としてごらんください。
錦織さんは、今また(一回目)ワーホリとしてオーストラリアに再度来られています。今度は10か月滞在予定なので、終った頃には体験談も比較にならないくらいディープなものに進化しているでしょう。
→追記:二度目の錦織さんは約一週間のAPLaC滞在の間に35件シェア見学を行い、その全てについて最低30分以上滞在して雑談をし、最終的に決めなかったけど意気投合したお家3−4件についてはそれを機縁に友達になり、さっそく遊びに行ってたとか。実は二回目のシェア探しの後にビデオでインタビューも録画してあります。
→みんなの動画館
錦織さんシェア探し直後編
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Kさん(女性)です。
これからWWOFFに行くという直前にノートを書いていただきました。本当はWWOFF体験も書いて欲しかったのですけど、そのまま帰国されるということで。もっともまた9月には戻ってこられるというので、お楽しみはその後に。
マイペースのKさんは、淡々とシェア探しもこなしていました。本人は「ビビりながら」とか書いてますけど、あんまりそうは見えなかったけど。でも、なぜか電話をかけそびれていたGreenwichの物件を3日目に見に行ってそこがドンピシャとハマり、ご機嫌に過ごされてました。
マイペースなだけに、自分の好き嫌いの基準はハッキリしているようで、こういう人は動くにあたってもパキパキしてて楽でしょう。シェアもパキッと決めてたし、学校での先生の好き嫌いも如実に出てて、ダメ期はサボってひとり遠足=クロヌラまで行ってるという。ここで家でウジウジしてなくて、シドニーの南端のクロヌラまで行くというところがエラいですよね。大体においてマイペースな人というのはフットワークが軽く、何の予兆もなくポンと動く傾向がありますが、マイペース=自分の好き嫌い価値観がハッキリしてることが、行動の原動力になっているのではないかと思います。
ラウンドの相談も受けましたが、行き先をパースにするのもパキンと決めておられましたね。「あ、いいね、それ」と思ったらもう動くという。ラウンド先の行動を見ていても、あまり必死度が感じられず、そうかといってまったり沈殿しているわけでもなく、いい感じでやっておられます。マーガレットリバーでは一人で毎日トコトコ歩いて違うビーチに行ってみたり、”なんちゃら”灯台(多分The Cape Leeuwin Lighthouseだと思われる)に、YHAのチャリを借りて、雨に降られ、自転車が壊れそうになりながらも行ききったことに誇りを感じていたり。ファームの仕事もあれこれやってますし、そこで親友と呼べるような素敵な出会いもあるし。そうかと思うと、いつの間にかシドニーに戻ってきて、グリーブ(フォレストロッジ)のパブでバイトを始めたり、二回目ワーホリの日数が足りないので慌ててWWOFFに出かけたり、、、
この紹介文を書いていて僕も段々わかってきたのですが、Kさんの体験談はそのまま「マイペースとは何か?」を考えるよい教材(笑)です。行動の基準になるのは自分自身の感性だけで、それ以外はない。もう徹底的に無い!って感じ。「皆はどうしてる?」とか「一般的には〜」とか考えない。だから、ワーホリ的なドラマツルギーにも当てはまらない。誰かの作った感動的なワーホリスートリーになぞらえて、自分の居場所を確認し、自分を当てはめようという気もサラサラない。動くときも常に一人ですしね。大体二回目ワーホリ日数が足りないなら、シドニーに帰ってこなくてもうちょいファームをやったらいいじゃんってツッコミもあるわけですが、Kさんにとってはそーゆーものでもないのですね。僕は、こういうKさんのやり方は、ワーホリ(ひいては人生)において、最強レベルに正しいと思います。だって自分の時間なんだから、どう使うかの判断は自分以外に無いはずですから。もっとも、こんなこと言っても、Kさんにとっては正しいかどうかなんか興味ないと思いますが(^_^)。
本人は「スロースターター」と書いてますが、それがKさんのタイム感なのでしょう。9月以降の二回目ワーホリが楽しみです。気がついたら何故か南アフリカにいます、とかいう展開になってたりして。なにしろ展開が読めないですから。
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Tさん(女性)です。彼女はとても頑張り屋さんで、「英語が出来るようになりたい」「海外でちゃんと働いてみたい」という誰もが思うような希望を、彼女ほどガチで取り組み、突き抜けていった人はいないかもしれません。時速160キロのド真ん中ストレート一本って感じ。「まあ、そこそこでいいか、、」という、よくある「逃げ」を一切打たず、愚直なまでにトライし、トライし、トライし、トライしきって遂に獲得したという。
まず第一段階では英語。ある程度英語慣れはしているけど、その分、基礎文法を曖昧なまま誤魔化してきているという、これもよくあるパターンですが、この弱点の徹底克服を心がけ、学校でも上のレベルにあがれるのに敢えて下のレベルに留まり、地道な文法習得。これは出来るようで出来ないことです。「上に上がりたかったら足下を固めろ」という定番の必勝法なのですが、実行は難しい。これをやりぬいて、クラスのテストで95点をゲットし、満を持して黒帯レベルのレベル5に上がります。
バイトも、通学中はローカル仕事に挑戦し続け数十連敗。目先をかえた(シティではない)サバーブのジャパレスに入ったら、これが転機になり、ベビーシッターなどガンガン自分から貼り紙をしたところ、予期せずオージーネットワークが広がっていき、あれよあれよの人つながりで第二のシェア先をゲット。このあたりからこれまでの蒔いた種が発芽していき、世界がひろがっていきます。
学校卒業後は本格的に100%ローカルのオフィスワークを探しますが、ここで2か月間、学校ナシ仕事ナシの停滞期を迎えます。マシンのように履歴書を送り続け、なんと200連敗。それでもメゲずにやっているときに、昔の布石が効いてきます。シェアハウスのオーナーをはじめ、現地でのtwitterで知り合いを広げ、そして将来のボスと知り合い、めでたく仕事をゲットします。サーキューラーキーのオフィスの日本人ゼロ環境で、ちゃんと給料も人並みに貰って仕事が始まります。が、やってみたら仕事そのものは日本と同じだったという。まあ、でもそれを確認するのは大事なステップです。
しかし、仕事そのものよりも、仕事を取り巻く環境が大きな経験と学びの場になります。オージーの仕事スタイル、それにも増して週末のパーティー&パーティーの世界。会社持ちの会費400ドルのオージーバブルを体現しているようなゴージャスパーティにも参加したり。そして、ネガポジのように後半戦は、いきなり30%の人員削減、さらに毎週コンスタントに人が去るという、「海外のリストラというのはこういうもの」という凄まじい現場体験をします。でも本人は「もう体験したし、いいか」と思ってたので退職勧奨+1か月分の予告手当をにんまりとゲットし、最後の2か月オーストラリア中を旅行で飛びまくります。ローカルの正社員の給料は高いですからね。軍資金には事欠かなかったでしょう。
ということで、初期の優先順位に忠実なだけに、旅行はしたけどラウンドはせず終いでしたが、シドニー生活をここまで充実させた人は珍しいでしょう。ほんといい経験をされたと思います。特に、オーストラリア人の本当のスタンダード世界(普通の暮して普通に働くという)、「普通」にここまで肉薄できたのは計り知れない体験だったと思います。海外における仕事をとりまくダイナミックな環境。ジョブゲットまで数百連敗はザラであり、馬鹿正直に履歴書を送るだけではなく、あらゆるコネ、ツテを活用すること。そういえば彼女には言い忘れてましたが、永住権取った後の最初の仕事(とにかく最初が難しい)については、400連敗、1000連敗という話も聞いたことあります。そこまで超ハードな思いをしてゲットした仕事なのに、その仕事にしがみつくかというと全然誰もしがみつかない。考えてるのは週末をいかに楽しく過ごすことだけというパーティ三昧。そして、数ヶ月単位であっさりクビになり、「また探せばいいじゃん」という繰り返し。これが「海外で働く」ということです。サーフィンみたいにダイナミックに浮き沈みし、そして波をつかむ。つかんだと思ったらすぐ終る。でもそれで良いという。よくぞここまで辿り着き、ここまで体験したものです。エライです。
彼女は今、日本に帰国しましたが、「とりあえず着替えとシャワー浴びに」日本に帰るだけで、人心地ついたらまた別の国に行くでしょう。ここまでノウハウが分かったら、あとはそれをフル活用しなきゃ嘘です。世界中に友達もできたことだし。世界中を見ておいでなさい。
彼女も筆まめ君でしたので、律儀に経過報告メールを送ってくれてました。編集してHTML化してますので、
あわせてご覧下さい。また、
彼女自身のブログもあります。
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大阪のAさん(女性)です。荷物を取りにウチにこられたときに半強制的に書いていただきました(^_^)。最近体験談が少ないのですが、皆さん「日本に戻ったらまた送ります」「メールで必ず」とか言いながら、多忙な日本環境に呑み込まれるのでしょうか、未完の約束の嵐になっています。いい話は山盛りあるのですが、全然発信されない。これではアカンと、飛んで火に入るAさんに「はい、じゃこれね」と書いていただいたものです。それでも、「私、根性ないし」「全然苦労してないし」「皆の参考にならないし」と盛んに固辞するAさんですが、聞いてみたら山あり谷ありでメチャクチャ面白いのですね。とりあえず第一部シェア生活編だけでもということで。ただ、これも、会話してれば山ほど「あんなこともあった」と出てくるのですが筆を取るとピタッと止る。
シェア6か月、ラウンド(カナナラ)9か月というシンプルで骨太なワーホリ生活ですが、カナナラも一ヶ月全く仕事がないときもあり、4回クビになったり、結局仕事がないまま消えていった仲間が沢山いたりと、それこそ皆が聞きたいエピソード山盛りなのですが、これは次回ということで(書いてくれい)。ファームどっぷりだったので、シドニーに戻ってくるとき上空からビルが林立するのを見ただけで、もうイヤって感じになったそうです。「日本に帰ったらどうなっちゃうんだろう?」と多少不安げ。しかも、その日本不適応体質を助長するかのように、彼女はこれからインドに旅立つそうです。ラウンド先で世界中のバッパー達と話していると、「行きたい」という思いが募ったそうです。1か月の予定ですが、どうなることやら。というのは、彼女、もともとオーストラリアのワーホリは半年だけの予定だったのですね。「半年で必ず帰りますから」と来た当初はかなりキッパリ断言してたのですが、それが二回目ワーホリを取って未だ滞在途中、そしてこれからインドでしょ?一ヶ月というのもどうなることやらです。世界一周しちゃいそうだな。そうなったら、体験談書いてくれるのかしら。てか、そもそもオーストラリアに戻ってくるのかしら(元シェア先に荷物を預かって貰うそうだから帰ってはくるだろうけど、しかし、、、)。
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富山県の建築事務所に勤務しておられたMさん(女性)です。微笑んでいる顔しか思い出せないような、いつもニコニコして屈託のないMさんは、文中にも出てくるようにスノボが大好きで、毎朝10キロ走ってるスポーツウーマン(本当はシドニーマラソンにも出たかったそうです)です。でも体育会系的なノリは全くなく、態度もいたって物柔らか。天真爛漫といっていいくらいジメついたところがなく、ちょっと古い言葉でいえば”のんしゃらん”とした感じ。この雰囲気は、一つ前のOさんに共通するものがあります。
こういうタイプの人は強いです。おそらく芯が強いから、表面上は穏やかでいられるし、マイペースでもいられるのでしょう。この強さは決断力、瞬発力、突破力という形で出てきます。シェア探しでも、前に出てきたワーホリ長者のO君と同じ遠距離Earlwoodをさくっと決めてます。大体シェア先が遠い人ほど成功するという大雑把な法則があるような気がしますな。ちなみにシェアを見に行って、家の人に引き留められ5時間も過ごしたというシェア見学一カ所最長滞在記録歴代二位です(一位は11時間という人がいる)。でもって、ブルームでの職探しでも、同じ会社に断れても断れても毎日毎日顔を出し、ついに4日目に向こうが根負けして雇ってくれたという。その頃は1日十数件日課のように廻ってたそうです。それほどの苦労をして決めた職も(しかも給料もいい=祝日時給33ドル)、スノボやりたい一心であっさり辞めて雪山へ行っちゃう。タメライの少ない決断力、ここぞというときの集中突破力、さらにポーンと方向転換できる瞬発力、これって心の根っこが強くないと出来ないですよ。だからこそ、”のんしゃらん”と出来るのでしょう。ちなみに英語でも”nonchalant"っていうからもともとは英語?
「食べ物にだけは恵まれているんです」と言うMさんですが、なんかこの人見てるとゴハン食べさせたくなる衝動にかられます。シェア時代には、いつもご近所さんに呼ばれてゴハンをご馳走になっていたという。こんな人初めてだわ。スキー場のバイトではキッチンのシェフ達と仲良くなっていつもゴハンを貰うわ、ファーム見学にいけば大量の野菜を貰って帰るわ。この体験記を書いてくれているとき、僕もなんか作ってあげねばという気になり、ソーメンを茹でたりしたのですが、何なんだろう、彼女のこの不思議なパワーは。
金銭面でもあんまりケチらず、シドニー時代もラウンドもガンガン遊んでいたMさんですが(4000ドルのツアーに参加してたりするし)、あんまりお金も減ってないのですよね。オーストラリアIN/OUTで結局トータル幾ら全財産が減ったの?と聞いたら、正味50万円くらい、最大見積もって100万くらいだそうです。でも現在の手持豪ドルが9000ドルなら減ってないじゃん、、。
こう書くと、いかにもノホホンとやってるうちに周囲が上手く廻っていくラッキーパターンを想像するかもしれないけど、でも、これ実力だと思います。凄いことやってるんだけど、ほんわかキャラのせいで凄いと感じさせないだけでしょう。知らない街で断れながらも毎日毎日
同じ会社に顔出せますか?それをやれちゃう突破力あればこそだと思います。年齢的に二回目ワーホリは無理なのだけど、でも、これだけ堪能すればいいでしょう。そういえば、直感とひらめきで動いて、結局エアーズやメルボルンなどナイスなエリアをミスっている点も、前述のOさんと似てますね。
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Oさん(女性)。ほっそりして背が高く、物静かでニコニコしているOさんは、モデルさんかお嬢様風なのですが、実はコテコテの大阪人でありました。門真の名門パナソニックに勤めていたのも実はチアリーダーやりたい一心からだったり、表情を崩さずに時折ボソリと面白いギャグをかますという渋い芸風が好きだったり、一筋縄ではいかないところはやはり大阪人。
そんなOさんらしい1年4か月だったと思うのは、例えばシェア探しでたまたまランチを買い求めたケバブ屋で、店の人から「シェア探してるの?ウチの2階空いてるけど、見る?」と言われて、そこに即決しちゃったりするような所にも現れています。また、ラウンドの最初の目的地もWAのデンマークという小さな町に”ガイドブックで見て気に入ったから”で直行したり、そこで仕事を探している最中に意気投合したカナダ人のおっちゃんの車で一ヶ月二人きりで旅に出ちゃうし。ニコニコしながらボソっと結構凄いことをカマしてくれるのですが、本人は「意気込んでいたほど冒険も挑戦もできなかった」等と書いてて、あんた、やっとるやんけ!ってツッコミ入れなあかんのかしら。
ただ、真面目な話、この人は本当に決断力があるし、洞察力があるのでしょう。行き当たりばったりに決めているようですが、実はこれが一番難しい。自分の判断力に自信がなければポンと即決できないし、またその判断が正しくなければドツボにはまったりもしますもんね。それを難なくまとめあげてるあたり大したものです。また、細かく見てるとそこそこヒドイ目にも遭ってるのですが、ぜーんぶ「これも良い体験です」でクリアしちゃってるんですよね。この咀嚼力、”精神の胃袋”が強いというか、こういう人は強いです。ちなみに英語力的には、某学校のビジネス2という相当難易度の高いクラスまで上がってます。直前のHさんもそうですが、大体このクラスで揉まれた人はラウンドにせよ何にせよ危なげないですね。
時折旅先からメールをくれていたので、
これも添付しておきます。
ところで、タスマニアとかブルームとかナイスなエリアをミスっているので(本人も心残りとか)、まだ2回目ワーホリ期間は8か月残っているので気が向いたらリターンしに来てください。
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Hさん(女性)。大学在学中のHさんは、英語も出来るし賢いし、気だての良い優等生タイプになるのでしょうか。しかしそれが足枷にもなっていて、「今までみたいなチマチマやらないで、ぶわ〜っと弾けたい」というのがワーホリのテーマでもありました。だから、普通に予算考えたら8週間なのを12週申し込んで、学費とシェア代(ボンド)払ったら残金数百ドルという崖っぷちから敢えてスタートしました。筆まめなHさんはコマメに経過報告をくれましたが、最初は「お金が〜」と言っていたのが、途中から全然言わなくなり、終わってみればそんなことすっかり忘れているという理想的な展開になってます。
Hさんの体験談は、それ自体良くできているのですが、しかしリアルタイムの経過メール、そして帰国後1年以上経過してからのメールがとても素晴らしいです。
あまりに良いので別途抜粋して掲げておきます。時系列的にはメール前半(途中経過)→体験談(ワーホリ終了直後)→メール後半(帰国後1年)になります。まず体験談を読んで概要を理解し、その後メールを読むと、リアルタイムの生々しい状況が分るでしょう。そして、帰国後メールにおいて「1年前の体験談とは全然違う」と本人が言ってるように格段に深く濃い省察がなされています。
経過メールを読めばわかるように、Hさんは決して要領良くスイスイやっていくタイプではなく、いちいち壁にぶつかり、ビビってます。お金がないとか、シェア探しとかバイト探し、ラウンド旅立ちとか目の前の課題に向かってる段階から、旅先で将来の伴侶となりうるオーストリア人のナイスガイ(僕も会ったことあります)と知り合い、視野は一気に将来像や国際結婚生活などに広がっていきます。なんというか、本当に絵に描いたような「成長」というか、少なくとも当初の目論見である「ぶわーっと弾ける」ことに関しては300%実現していますよね。
なお、趣味というトイカメラで撮影した写真を5葉送っていただいてますので、スキャンしておきます。魚眼レンズでなかなか面白いですね。
写真@、
写真A、
写真B、
写真C、
写真D。
★2011年11月5日追加 ラウンドで知り合ったフィアンセのGovindaさんとの世界一周旅行の途上、3年ぶりにオーストラリアに訪れたときのインタビュー動画。
「オーストラリアからオーストリアへの"火の鳥"Love」
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M君(男性)は、ギターが趣味のシェフです。日本ではイタリア料理屋で腕を振るっていました。のんしゃらんとした、ベトつかないたたずまいのM君の最初のシェア先はMarrickvilleで、ちょっとアーティスティックな年長の女性とのシェアでしたね。庭にハーブが沢山あったのも覚えています。そうそう、その前にデポジットを300ドルも渡してしまったBurwoodのシェア先に「キャンセルしたいんだけど、幾らかでも戻ってきませんか?」と交渉して200ドル返して貰ったこともありましたね。「言ってみるもんですね」って。
饒舌でもないし、かといって寡黙なわけでもないM君らしい体験談になりました。何の脈絡もなく、いきなりサビから始まって終わるという、まるで路上襲撃ギグのような体験談でした。でもって文面から巧まざるユーモアがにじみ出ているという。らしいな〜。もの静かな彼ですが、ある意味とっても男っぽい人で、愚痴や泣き言いってるの聞いたことないです。「いやあ、ちょっとヘコみましたかね、はは」てな感じで流してしまえる強さがあります。友達多そう。
今も二回目ワーホリ続行中で、シドニーでシェフの仕事を探しているようですが、なかなか苦戦しているようです。そうそう、先日は、ビール1カートンさくっと「お土産です」と持ってきてくれて、重かったろうに、ごっつあんでした。また、帰る前にお立ち寄りを。
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広島出身Nさん(女性です)。ちょうど1年目ワーホリが終わりこれから2回目に入るという時期に、たまたまウチに荷物を取りに来られ、「時間がたつと忘れちゃうから途中でもいいから書いて!」ってお願いしました。白紙の用紙に隅々まで元気一杯に書いてくれました(スキャンすると端が切れちゃうのですが、なんとか読めるでしょう)。
Nさんはスキューバのインストラクターをやっており、かつアマチュアながらサックス奏者でもあります。シャイな照れ笑いが印象的なほっそりしたNさんですが、実は結構アウトゴーイング。サックス演奏がもとで多くの人たちと知り合いになってますし、ブルームでは真珠取りの船にのってクジラやジュゴンに癒されるというアクティブな日々を過ごします。シェアはボンダイのバングラディッシュ人夫婦のところで、本人いわく”大正解”という日々を過ごしました。シェア先まで送りにいく車中、「いやー、一週間前(まだ日本にいる)とき、まさか自分がバングラデシュ人と暮らすようになるとは全く想像してませんでしたねー」と言っていたのを覚えてます。
このようにワーホリ生活を120%満喫されているNさんですが、最初からトントン拍子に進んだわけでもなく、むしろ逆。来るときには荷物を多く持ってきたり、シェア探しも最初ビビったり、お金がなくて不安でしょうがなかったり、誰もが通る道をキチンと通ってます。ラウンドに出るのも僕に「ウダウダ言わずに行ってきんしゃい!」と背中を押されて行ったようなものでしたし、行った当初も仕事がなくて苦労します。でも必ずどこかで”運命感じちゃいます(本人記)”的なターニングポイントがあり、1000ドルだけ持って出た旅先でも瞬間最大風速1万3000ドルまで増やし、過ぎてみれば日本に一時帰国した後、猫まっしぐら状態で再びブルームに飛んで帰ってます。
誰もが感じる不安を抱え、誰もが通る道を歩いてきたNさんは、「1年前の自分へのアドバイス」というこの体験談の基本コンセプトに忠実に、最後にまとめてアドバイスを書いてくれてます。1年後にまたヴァージョンアップした体験談を書いてください。
なお、同じ週にこられた同期のYさん(女性)は、学校卒業頃からプロのダンサーとしてシドニーの舞台に立ち、やがてマカオや日本でも定期的にステージをこなし、今は永住権申請の準備に入ってます。彼女にも体験談書いて〜ってお願いしてるのですが。
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島根県のSさん(女性)です。大学生卒業後ワーホリに来られました。彼女もかなり頑張っていて、壁にぶつかる度に上にあがっていくという典型的なパターンで、最初のシェアも中々決まらず取りあえず「3週間だけ」という暫定シェアに行ったらオージーの優しいお姉さん方3人に可愛がられてハッピーなスタートを切り、さらに3週間で精力的に見て回りベストシェアを確保しました。以下同じパターンで、突撃しては壁にブチ当たり、クリアしてはまた壁にの繰り返しです。したがって本人の体験記を読むと、主観的な浮き沈みが前面に出ているのですが、客観的にはこの人かなり凄いことやってます。例えば語学学校でいきなりレベル5から始まる人は少ないですし、また学校で月間MVPに選ばれるのも凄いことです。シェアもNewtownで135ドル・オウンルームというのは掘り出し物ですし、レストラン街でレジュメを配りまくってアフリカ料理屋で働き、しかもオーナーと喧嘩するところまでやってます。この部分はシドニー時代の一つのピークですが、こうやって英語でガチンコで喧嘩できるのようになるかが英語修行の一里塚です。だってフレンドリーな雰囲気だったら言葉要らないもんね。マジに険悪になったときにどれだけ駆使できるかが本当の語学力でしょう。ラウンド先でも楽しくやってます。最後のケアンズでは地元の人に可愛がられてステージにギター持って出たくらいです。
だがしかし、ああ、それなのにそれなのに。どこでどう魔が差したのか、里心がついて9か月で日本に帰ってしまいました。本人的にはあとでメールで「後悔の涙が止まらない」と書いてあったくらい”魔が差した”のでしょうが、その思いが強いせいか、冒頭(215頁)から「突然ですが日本に帰ります」という帰国話から話が始まるという映画のような展開になってます。オマケに体験談の添え書き(
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ちなみに、早く帰って後悔するパターンは「早くラウンドに行かないで後悔する」パターンと並んで非常に多いです。過去の
Hさんもそのパターンで、彼女は今オーストラリアに学生ビザで帰ってきてケンブリッジコースを受けています。海外に長いこと居ると、あるとき、ふと日本がとてつもなく素晴らしい所のように思えるときがあるのですね。でも、そんなに素晴らしかったら最初からオーストラリアなんか行こうと思わなかったわけで、帰国してから何故渡豪しようと思ったのかを思い出すという。
Sさんには、僕が日本に帰省するときハウスシッティングもしていただきましたし(ありがとうございました)、僕のサブのギターを貸してあげたギタリスト仲間でもあります。メールの返信にも書きましたが、日本に帰ってきたと思わず、「また別の国にきた」と思ってオーストラリアと同じ感じで頑張ってくださいまし。あの調子でやっていったら相当なレベルまでいけるよ。今は不況感漂う日本で就活しておられるでしょうが、雇い主の皆さん、Sさんを採用しなさい。この人、大物になりますよ、雇って損はしませんよ。
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町田裕美さん(女性)。北海道出身の町田さんは、保育士さん。オーストラリアに来たのはワイルドフラワーを見に来たというMさんは、”今なら死んでもいい!!”(原文ママ)というくらいの絶景体験をして所期の目的を貫徹。しかし、読んでたら、僕も見てみたくなったぞ。
”英語は気合だ”という力強くのたまう町田さんですが、実は学校でも真剣に勉強もしてました。シェア先はCampsie。学校からの帰り道、Newtownにある Kai on King(僕もレストランガイドでオススメしてます)で働きつづけてます。通学期間の最後の方だけシティでシェアしたのですが、「こら、あかん」と一刻も早くシェアに出たかったそうです。
町田さんはワイルドフラワーに憧れて渡豪したくらいですので、感性が大らかで、芯が強いというか芯が太い方だと思います。300ドルだけ持ってラウンドに出たり、勉強もかなりしてるのに一言も触れてなかったり、やや距離のある通学通勤をしてるけどそれも触れてないし、ベジマイト好きだし、日本人特有のヒヨワで、線の細く、ネガティブなところが殆どないのですね。感受性はかなり鋭いのだけど、ヒヨワではない。この差は巨大でしょう。
それは、TOEICの試験勉強で、分からない問いは空白にしたいのに「空白にしたらダメ」という受験指導を受けて悲しい気分になるところにも現れています。ヒヨワさに伴うセコさやズルさが全くない稀有な魂の持ち主だと思います。最後の最後にのんびりしてて飛行機に乗り遅れ、ウチでもう一泊した町田さんの所持金は「宿代払ったら空港まで行けないじゃ、、、!?」という豪傑ぶりでした。今頃は、故郷の札幌にアイリッシュの彼氏を招いているのでしょうか。しばらくしたら彼と二人でNZワーホリに行くそうです。そうですね。あなたには日本は狭すぎるかも。
可愛い鳥のイラストが散りばめられていますが、宿主に頼まれてバッパーの壁に絵を描いた人というのは、僕の知る限りあなただけです。
3年後のメール〜 NZ、アジア、アイルランド、そして今はカナダ
上の紹介文の最後に「日本は狭すぎるかも」と書いたとおり、その後もNZ、アイルランド、今はカナダで3度目ワーホリをやっておられます。といっても「出ずっぱり」ではなく、帰国時にはキチンと就職しておられます。しかし!その仕事も、海外輸出をしている社長秘書として英語に携わるだけではなく、アジア(シンガポールやマレーシア)などに嬉々として出張に行っておられます。さらに退職後も、社長の旦那様の不動産投資のためにフィリピンに同行されるなど、だから「帰国就職」といっても、より海外に出るためにやってるような観もなきにしもあらず。
ご紹介するメールは体験談として書いて貰ったものではありません。単なるエッセイのファンレターであり、「お久しぶりメール」に過ぎません。また「ワーホリでこんなに頑張ったから人生が開けました」みたいなテーマのもとに書かれているわけでもありません。本当に普通の世間話のようなメールなのですが、それだけに”大事なもの”が「垣間見える」と思います。
ちなみに上の写真(新たに付加)の左側の方が、メールの文中に出てくる「永住権を取って暮しているとされる樋口さん」です。ここでも体験談を書いてくれてます(
164頁以降)。彼女も頑張り屋さんで、わずか4か月間で語学学校のレベル2→5まで駆け上がったという最速記録保持者です。9か月で燃焼して切り上げた筈のワーホリも、帰国中の飛行機で「やべ、間違ったかも、、」と思い、帰国3か月で辛抱しきれずまたオーストラリアに学生ビザで舞い戻り、そうですか、永住権取れちゃいましたか。また、その後のお話も聞きたいものです。そういえば、お二人とも、シェアはCampsieのコニー宅でしたね。「シェアは西に行くほど成功する原則(というかジンクスというか)」が、また確認されてしまいました。
→3年後のメール〜 NZ、アジア、アイルランド、そして今はカナダ
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Sさん(女性)は神戸出身。Oさんと一緒に挨拶に来てくれて、ウンウン唸りながら、5ー6時間かけて書いてくれました。折りしもその日、シドニーは40度という溶けるような暑さ。でも二人とも「いやあ、ファームで慣れてるし」としれっと黙々と書いてくれました。
彼女のシェア探しそのものは順調だったのですが、最大の難所は気に入ったところが週200ドルと高い点でした。「うーん、、」としばし沈思黙考。「決めた!」とそのブラジル人の超陽気なオバちゃんの家に行きましたが、これが正解。以後、お金の呪縛から解かれたのか、もとからそんなものないのか、学校時代は飲み歩き。ラウンド先でも所持金200ドル切っても「大丈夫!」と力強く書いてくれています。APLaC仲間でもあり、学校の知り合いでもあったO君(↓)とラウンド先で知り合い、以後O君と旅を続けます。相方のO君がガンガン稼ぐので霞みがちですけど、実はSさんもしっかり稼いでます。
旅の内容は、同行者のO君と同じものなのですが、書き手が違うとやっぱり全然違います。旅先情報も豊富です。バッセルトンやエスペランスは僕も行ったけど、沈没船ツアーなんか知らんかった。いいなあ、ワーホリ。旅先で時間がたっぷりあるもんなあ。しかし、豊富なのは時間だけではなく、このカップルの場合軍資金も豊かですね。しかも、どこででも稼ぐ自信があるから、ギリギリまで使い果たせるというのが強いです。NZ温泉めぐりまでやって、キッチリ使い果たしてきました。この豪ドル安だし、それで正解でしょう。
今ごろは、日中でも10度以下という真冬日の神戸で、O君と二人でこごえているのでしょうか。
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O君(男性)です。ラウンド(ファーム仕事)でトータル2万7000ドル稼いだというのは、APLaC史上、長者番付筆頭だと思います。1万ドル台はそこそこいますけど、2万7千というのはすごい。
彼と次の(上の↑)Sさんはカップルですが、最初からそうだったわけではなく、学校で顔見知りになり、ラウンド先で再会し、以後1年以上仲良く旅をしてこられました。
O君は、ご本人も書いているとおり学校に入っても一番下の初級クラスから始めており、シェア探しでも2週間丸々かかって、”ダブりのOさん”というありがたくない異名を献上されておりました。最初は結構大変で、シェアの見学にいった先の女将風の豪快なオバちゃんに、「あんた!もっと自信をもって大きな声で言いなさい!」と説教されてたのを覚えてます(そういう女将自身、名詞は全部単数だわ、時制は全部現在形だわのスゴイ英語だったけど)。よく頑張ったわけですが、彼の頑張りはナミではないです。本人はサラッと書いてますけど、上のSさんによると学校時代のO君は「勉強一筋って感じで接点がなかった」そうです。また、ファーム時代の彼を知る人によると、"He is a machine!"と言われていたようです。物柔らかでサラッとしたナイスガイなのですが、「当たり前のことを当たり前に出来る」人としての強さが彼をして稼ぎ頭に押し上げたのだと思います。決して要領のいいタイプではないのですが、要領の良くない人が結局は一番強いんですよね。
貯まりまくった貯金で中古の四駆を即金でポンと買って、Sさんとラウンド後半戦に乗り出しますが、これだけ稼げると強いですね。所持金が殆どゼロになるまで遊び、底をついたらまた働いて貯めるという。ほんとオーストラリア全土でタイムリーにガツンと稼いでますが、そのコツは、多分彼に言わせれば”当たり前のことを当たり前に”やればいいだけなんでしょう。割のいいファームを探す、見つかるまで探す、それだけ。それが出来る人と出来ない人がおり、彼は出来る人だということです。しかし、本人的には”当たり前”のことなので、体験記はそれほど力説されてません。その代わり、あの美しい海で有名なエスペランスでイカが釣れて、しかも美味という初耳情報が多いです。しかし、「アクセル踏んでないとエンストする車」でブルーム=シドニー間を突っ走ってきたのはすごい。それって日本〜インドネシアくらい離れてない?
新潟出身のOさん、今ごろは雪の降り積む故郷でしょうか。あ、先に(Sさんの)神戸に行くとか言ってたな。
後日談:OさんとSさんは、帰国後、めでたく挙式されたそうです。末永くお幸せに!